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TGR審査員の講評 ラスト!

皆様、遅ればせながらあけましておめでとうございます。

さて、昨年末から掲載してきたTGR2012審査員の皆さんの講評も今回が最後。

ラストは、審査員最年少・森彩夏さんの講評です。

以下、森さんの講評です。

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今年もたくさんのお芝居を観劇させていただき、ありがとうございます。
参加した劇団の皆様、劇場の方々、TGR運営のスタッフの皆様、本当にお疲れ様でした。
私は、審査員としては二年目の参加となり、昨年度よりもゆったりと観ることができました。

観劇を重ねるごとに発見があり、貴重な体験をさせていただいていると思います。
この作品は、一体何が伝わってくるのだろう。お芝居が始まる前に誰しもが考える事だと思います。「期待」というものです。これから観る作品に、無意識に期待してしまうのです。そしてその期待を超えてきてくれたときに、大きな感動が生まれます。
今回のTGRでは、期待を超えたもの・超えなかったものの差が激しいように感じました。

大賞を獲得した弘前劇場の「素麺」は、脚本や美術、台詞まわし、照明の美しさ、全てが抜きん出ていて、観終えた後の爽快感といいますか、読後感のようなものがふわふわと襲ってくるのです。この作品が生み出す澄んだ空気に、全身が捕らわれる感覚です。観る前から大きな期待を抱いていましたが、それをはるかに超えるものを観させていただきました。
高く積みあがった何冊もの本、大きく古びた家屋の中に自分もいるような気分になるセット。そこで繰り広げられる方言でのテンポの良い会話は、なんとも耳に心地良かったです。座敷童子の重要な、しかし決して大きすぎない存在感も話の中に一本の軸を作っており、色んな視点から内容を楽しめる、何度も観劇したい作品でした。

爽快感・読後感でいえば、惜しくも大賞候補の5つに残りませんでしたが札幌座の「デイヴィット・コパフィールド」も、次々と起こる事象の果ての優しい結末がとても良かったです。数多くの登場人物の、それぞれの心情は深く掘り下げられはしませんが、かえってそれにより一人ひとりの人生の流れを観客が想像できるので、世界がぐっと広がったように思います。
受け手に想像させることでメッセージが強くなるのは「演劇」の特徴だと思っています。シーンの随所随所にヒントを散りばめて、2時間のお芝居の話が終わったあとも、劇中で語られることのなかったストーリーを自分の脳内で補完できる。演劇の楽しみ方は人それぞれですが、デイヴィット・コパフィールドではそういった追随の面白さがありました。

また、人形劇は今年も楽しく新しい興味を持ちながら観させていただきました。趣向を凝らした演出や、スタンダードな人形劇の観せ方でも人形を扱う技術の高さが顕著に表れ、予想を上回る作品をたくさん楽しむことができました。
中でも私のお気に入りは、人形劇なかま パラパラポナの「ルドルフとイッパイアッテナ」です。まるで命を吹き込まれたかのように動く人形は、確かに温かかくて、説得力を持っていて、それを見つめる子供たちの目はキラキラと輝いていました。「観客がお芝居を作る」とはよく言われる話ですが、それは人形劇の場でこそ発揮されるのではないかと思います。ぜひともあの雰囲気を、人形劇に触れたことのない方々に味わっていただきたいと思いました。

新人賞を受賞した劇団パーソンズさん、授賞式の時にとても喜んでいらしてましたが、確かに賞を受賞することはとても嬉しいことだと思います。しかし、新人賞はあくまでもステップで、ここから先にどんどん進んでレベルアップしていってほしい、と期待を込めての新人賞だということを忘れないでいただきたいです。いいところもあれば、気になる箇所もたくさんあります。

一昨年はさっぽろアートステージ市民記者として参加していました。そして昨年は劇場祭審査員一年目。この二年と比べ、今年は少し余裕を持って観劇できた一方で、何かもやもやと心に残るものがありました。
審査員間でも話題になったことなのですが、今年はユニットや客演参加が多く、一つの劇団として作品を引っ提げての公演が数えるほどしか無かったように思います。札幌の演劇界の構図が何だか分かりづらくなっているような気がして、複雑な気持ちでした。
「札幌演劇の見本市」を目指す劇場祭なのであれば、劇団が所属する劇団員と、一つのものを作り上げていってほしいな、と思う気持ちが拭いきれません。来年はどうなるのでしょうか、今からとても楽しみです。

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以上、森審査員の講評でした。

明日から3連休、7人の審査員の方々の講評を

ゆっくり読み返しながら、2012年のTGRを

ふりかえってみたいと思います。

審査員の皆さん、劇場スタッフの皆さん、

そして参加いただいた劇団の皆さん、

本当にありがとうございました!

ではまた来年・・・いや今年の11月にお会いしましょう!

 

 

 

 

TGR審査員の講評(後半戦その2)

すみません、大変長らくお待たせしました。
TGR審査委員長・桑田信治さんの講評の続きを
ご紹介します。
「超大作」も今回が最終回!

以下、桑田さんの講評最終回です。

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●『十一ぴきのねこ〜子どもとその付き添いのためのミュージカル〜』
総合学園ヒューマンアカデミー札幌校パフォーミングアーツカレッジ
(Aチーム)

専門学校さんの学内公演は時折拝見しているのですが、同校の公演は初めてでした。正直、僕の予想を上回る熱演で、さすが卒業公演という感じでした。(卒公はまさに一期一会。だから卒公っていうだけで素敵なんですけどね。)

井上ひさしの毒のある笑いを十分に表現していたとまでは言えないのですが、古い戯曲だし、僕は三島由紀夫もよく判らないのでそれに関して偉そうな事は言えません。でも何より全員が生き生きしていたこと、溌剌と歌い、踊り、ちゃんとエンタメしてたことが素敵でした。

スタンダードな1・2番さんのネコのほか、個人的には5・7番さん(←番号間違いじゃありませんよ 笑)が目にとまりましたが、他のキャストさんも、コーラス参加の1年生と比べても、表情ひとつとっても一年間の差は歴然。そして、そんな1年生もやがてこの舞台に立つんだなあとか、いろいろ思いながら観ていました。

ただ、やはりさすがに時代や世代ギャップがありすぎ、この戯曲そのままの表現を今の学生たちに求めるのは正直酷かなと。でも、そういった部分が生きないと、ほぼただの子供向けミュージカルになっちゃうんですよね。だから、これは学生さんにというより、学校側の方が(まあ、いろんな事情があるのかも知れませんが)現代的な演出をしてあげないと可哀想かなと思いました。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★☆ 楽しさと元気あふれるミュージカル

エンタメ度★★☆ 歌・ダンス・演技ともに、成果をきちんと表現

キャスト★★☆ 11(12)匹それぞれに個性と魅力あり

 

●『MODEL ROOM』演劇集団遊罠坊─AsoBinBou─

前回公演を観て期待していたのですが残念でした。作者の才気や、役者の力は端々に感じるのですが。(あ、いいなと思ったのは今回も後藤さんでした。使い方がうまいとも言えますが。)

IJINさんの脚本は、説明過多じゃないところが良くも悪くも特徴のひとつだと思います。昨年は危ういところでそれが魅力として光っていましたが、今回に関しては明らかに客席に対して説明不足で、断片芝居の寄せ集めのようになってしまいました。「単純に分かり易くするを良しとしない」のだとは思いますが、難解、という以前に未完成の感が強いです。「よく判らなかったけど面白かった」というのもアリですが、個人的には、そこまで達していないと感じました。

今作を観ていて僕が感じたのは、「重要な数ページが落丁した哲学本を読んでいるような気分」でした。これでは著者の意図はおろか、重要部分だけでも知ろうとすることさえ不可能です。正直な話、あまりに断片的にしか理解できないので、僕自身、大事なシーンやキーワードを見落としたのかと思ったくらいでした。
(城谷歩さんの作品のように、意識して観客を混乱させ、ストーリーを追えなくさせるという手法もあると思いますが、それは遊罠坊さんの意図するところではないと思います。)

お客さんは千差万別であり、全ての人に分かり易く説明することは不可能だしその必要もないでしょう。でも、ほとんどの人に伝わらないのであれば、メッセージ性のある作品としては失敗ではないでしょうか。

この場合の「伝わる」は、必ずしも作者のメッセージ通りのモノが一語一句伝わるということを指しているわけではありません。受けとるモノは様々。でも、テーマや狙いを持った作品ならば、観客(の大半)は、その人なりに必ず何かを受け取ることができるのだと僕は思います。

例えば、序盤で物語設定をもう少し客観的に丁寧に説明するとか、クライマックスのやりとり以前にもっと状況を観客に納得させるとか。――作者自身が、作品全体を客観的に見わたす目を持つことも必要ですが、お芝居は一人で作るものではないので、スタッフさんや役者さんなど、ブレインとなる人がいればなお良いかも知れません。
表現者はある程度独りよがり、お山の大将でいいと僕思ってるんですけど、時には客観性も必要だと思う。またまた不遜な話をしてしまいましたが、新人賞のチャンスもまだありますし、個人的には遊罠坊さんのハードルを上げてしまっているので今後もそれ相応の期待をしています。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★ 観客に伝える努力がもっと必要

演出★☆ 場転の巧みさなど、構成には手慣れた上手さ

役者の魅力★★☆ 地力のある役者たち。

※遊罠坊さんに対しましては、公開審査会の席上、審査委員側の事実誤認により、公演時のスタッフワークに対する不当な非難をしてしまいました。遊罠坊さんのエントリー作品の審査とは全く無関係であることを明言した上で、審査委員長として重ねてお詫びいたします。誠に申し訳ありませんでした。

 

●『モスクワ』Intro

イトウワカナさんにはいつも随分と“難解”な作品を見せられているような気がしているのですが、…「いつも」というのは不当ですかね。よく考えてみたら一昨年の『悪い子』くらいでした。なので難解という言い方はやめます。――イトウワカナさんにはいつも独特な感性の作品を(笑)見せられているのですが、そういう意味では、今作『モスクワ』は、脚本も演出も舞台美術も、僕の期待した通りのものでした。公開審査会の最終投票では、正直、今年こそ一等賞を獲っちゃうんじゃないかとも思いました。

…などと偉そうなことを書いていますが、相変わらず予備知識なしで観劇に臨んだ僕は、実は「モ」「ス」「ク」「ワ」の4文字以上の予測も予感も持たずに会場入りしたのでした。ですから、「私、ドブリニンスカヤ駅のマクドナルドに行く…」が始まってもなお「1986」には思い至らず、良い意味で自然体、悪く言えば何も考えずに、イトウワカナさんとキャストさんのなすがままに展開に浸っていました。いつになく心地良い空間だったのは、ロシアという異国の香りと、アート感覚にあふれた舞台装置のせいだったと思います。

6名という少人数で広く高いコンカリの舞台を余す所なく魅せ切ったことの素晴らしさや、チェルノブイリ、3.11、現在、そして未来といった作品のスケール感とメッセージについてはおそらく他の方も言及されることでしょうから、僕はもっと個人的な話をさせて頂きます。僕がまず思い出したのは、前述したTGR2010参加作品『悪い子』のことでした。

コラージュ的な手法で進行するという点では今作と似ていた面もある『悪い子』でしたが、会話や単語の重なりで、空間を飛び越えて人と人とを繋げていく──(後にTwitter的だなと思ったのですが)──意味不明な中にも楽しさだけは感じつつ、なぜか、繋がれば繋がるほど、目に見えない大きなドーム状の閉鎖空間に閉じ込められていくようなイメージを僕は持ったのです。「繋がるということは、閉じてしまう=限定されてしまうということなのだろうか」というような疑問がありました。ひどく感覚的な話ですが。

今作でイメージされていたのは、「閉じた球」ではなく「循環する円」でした。なるほど、(今作のテーマとはずれているかも知れませんが)繋がるということは閉じるということではなく循環するということなのか、と納得するとともに、『悪い子』でもそれは既に提示されていて、僕が気付かなかっただけなのかも知れないと思い至りました。

また「ここ・を通ると、ここ・は通過点になる」というリフレインもそう。これは時間や事象、歴史の連続など、スケールの大きな意図をもって用いられている言葉なのでしょうが、僕はもっと卑近に、個人的な人生の苦難や、もっと些細な出来事さえ、すべては通過点だよと言ってもらえているような感覚で捉えていました。

自分勝手な解釈ながら、今作はとても心にフィットすることが多かったです。もちろん僕が1年やそこらでイトウワカナ作品への理解を深められる訳はないのですから、これはイトウワカナさん自体の変化というか、進化なのでしょうね。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★★ イトウワカナ会心の代表作

イマジネーションの豊かさ★★★ 地球規模であり、ミニマムでもあり

客演の確かさ★★★ ダンスも会話も、そしてラストも。山村さんあっての完成度

 

●『ぷにぷに』ごはんは

終演後、学生さんらしい全員での客出しの爽やかさに、作品作りに対する真摯さを感じましたが、僕にとって特筆すべき点はそれだけでした。

審査委員として事前に頂く資料のひとつに、各団体のエントリー用紙というものがあり、そこには「公演のみどころ(アピール)」という欄もあるのですが、チラシやパンフ同様、僕はそういう類いのものは事前にほとんど目を通しません。特に初めてのカンパニーさんの場合は、前情報や評判などに惑わされず、なるべく真っ新(さら)な状態で観劇したいと思っているからです。

観劇後に目を通してみると、「新しい演劇」「一人の登場人物を全ての役者で入れ替わり立ち代わり演じる」等、なるほどと思う事柄がいくつか書かれていましたが、作品を見た限りにおいては、どこが「新しい演劇」なのか、どこからどこまでが「一人の人物」なのか、申し訳ないですが僕にはわかりませんでした。

実験演劇のワークショップを参観しているような気分でした。しかもこのワークショップはまだ始まったばかりで手探り状態。発表するにはまだまだ時間が必要、そんな印象でした。

パンフの「代表者あいさつ」に、「社会の歯車となってしまう前に、ぶち壊したかった」との一文がありました。僕はそれがとても気になりました。――単なる言葉のあやだと、作品とは関係ないと言われてしまうかも知れませんが、公演パンフの挨拶文ですので取り上げさせて頂きます。

まず、「新しい演劇」を目指そうとする表現者が、「社会の歯車」などという表層的で手垢のついた言葉をここ(パンフ)に持ち出す時点でアウトだと思います。セリフの限定された作品でしたが、雄弁を封印したのではなく、語るべき言葉を持っていないのではないか、と僕は疑ってしまいました。語る以上に雄弁な主張を、少ないセリフの中で見せるためには、いざ語るときには千の言葉、万の語彙を注意深く駆使できなくてはならないのではないでしょうか。

――随分と不遜な事を言っているかも知れませんが、それは、この作品が入場料1000円という「公演」だったからです。有料公演、特に1000円ともなれば、それは紛れもなく商行為です。僕が拝見した回はお世辞にもお客さんが多いとは言えませんでした。「東京に出る前の思い出作り」なら、もっともっとお客さんに観てもらうために、極端な話入場無料にして客席を埋め、万雷の拍手をもらうなり、酷評を受けるなりするべきだったと思います。

エントリー用紙には「私たちが目指している新しい演劇がどのように受け入れられるか」とありましたが…劇中で生卵を幾つも割るシーンがありましたね。会場のほとんどの席からはあれが完全に見切れてしまっていたことに気付いていたでしょうか。見えないものを、客はどうやって受け入れられるのでしょうか。

作品内容について書けなくて申し訳ないです。印象に残ったのは、舞台にスクウェアに並べられた白い紙くらいでした。

最後に。これで作者は演劇活動から離れるのかも知れませんが、先に社会に出た者としてひと言。歯車だって重要な部品ですよ。自虐的な表現として使っているようでは部品としての役割さえ果たせないかも知れません。今からそんな言い方はぜず、上京したら社会のエンジンを目指して頑張ってください。

ともかく。作品を見せて頂いてありがとうございました。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度☆

(申し訳ないですが、これ意外は評価することができませんでした。)

 

●『デイヴィッド・コパフィールド』札幌座

全4巻・64章からなる長編小説をたった2時間の作品にする。無謀とも思える清水友陽さんの試みに僕はワクワクしていました。一昨年の『クリスマス・キャロル』から一変、機能的でシンプルな舞台装置。紙芝居のようにサクサク進む物語の中で、出会い、別れ、再び集う人々。序盤こそそのテンポに乗るまで束の間戸惑いましたが、慣れてしまえば楽しく、あっと言う間の2時間でした。(相変わらずお尻は痛かったですがね。)目まぐるしくはありましたが、慌ただしくはなかった。でも舞台裏は相当に慌ただしかったでしょうね 笑。

このテの役柄では素敵な魅力を見せる主役の小林エレキさんのほか、ハリウッド・ゴシック映画の悪役さながらの亀井さん、凛とした優しさの中塚さん、無邪気なお嬢様育ちの池田さん、を筆頭に、客演陣も好演。また、主に脇に回った札幌座の役者さんたちの確かな演技が、楽しさと、目まぐるしい中にも安心感がありました。

僕は原作小説を読んでいないので確かな所は判りませんが、長編小説をこの尺で見せるということが可能なのか、そしてそこにディケンズの世界はきちんと再現できるのか、ということ自体がこの作品のテーマだったのだと思います。
そしてこれも憶測ですが…清水友陽さんが再現しようとしたのは、ディケンズ作品の緻密な香りとともに、長編小説を読み切った瞬間の感慨だったのではないでしょうか。時間をかけて長編小説を読んだとき、そしてそれが一人の人物の生涯を描いた小説ならなおさらのこと、読了の瞬間、読み手はまさに走馬灯のように(主人公の)生い立ちからそれまでの出来事を思い巡らせます。芝居のラスト5分、最後の場面に立ち会った観客がその想いを共有するための、目まぐるしい1時間55分だったのではないでしょうか。

ラストシーンで、主人公と終(つい)のパートナーと子どもたちが寄り添う中、優しいBGMを奏でている弾き手は亡き妻役の池田さん。極上の幸福な風景は、今作が「僕の泣きそうになった3本」のうちのひとつになった瞬間でした。「僕はねえ、C.ディケンズが大好きなんだよ。」という清水さんの声が聴こえてくるかのようでした。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★★ ある意味、2時間だからこその成功

構成★★★ 一瞬の感慨のための長い長い走馬灯

キャスト★★★ 早変わりの脇役陣にも大拍手

 

●『ルドルフとイッパイアッテナ』人形劇なかま パラパラポナ

予備知識なしで臨んだので、短編&中編3本立という演目かと思っていましたが、いきなり表題作が始まったことで長編作品だと初めて知りました。序盤を過ぎる頃、これは絵本ではなくて児童文学らしいぞと気付き、どんどん引き込まれていきました。(実は、原作はとても人気のある児童文学作品だったのですね。)

舞台美術のアイディアや質感、人形の造形や動きの素晴らしさ、声のフィット感──人形劇というより、小学生の時に体育館で観た児童文学の「まんが映画」のを観ているような統一感でした。夜の嵐の中を走る2匹のネコのシーンはまさにアニメーションのようでした。

原作のよさはもちろんなのでしょうが、親近感のある会話アレンジなど、細かいブラッシュアップで大人から見ても隙がない脚本。ネコ目線なのか没個性にするためか、帽子を目深に被った給食室のおばさんなど、細かい演出も生きていました。

原作に頼るのではなく、楽しく、かつレベルの高いものを作ろうという意欲が伝わってくる作品でした。これ、まだ原作は続くのですかね。ルドルフの成長物語なのか。この先も見たくなる面白さ。確かな技量と満載のアイディアで、とても素敵な作品に仕上がっていたと思います。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★★ 大人も楽しめる隙のない仕上がり

舞台美術★★★ 場転も多いが、それぞれに凝った道具立て

ストーリー★★☆ 楽しくそして明確な成長物語
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以上が桑田さんの講評です。
過去2回、掲載していますので、
このお正月休みを利用して他の回も
じっくりお読みいただければ。

では皆様よいお年を!

TGR審査員の講評 第5弾(後半戦その1)

2012年も残りわずか。

TGR審査員の講評も終盤を迎えております。

今回は「第5弾」で講評・前半戦をご紹介した桑田さんの後半戦をご紹介。

こんなにしっかり講評を書いてくれる人がいるという幸せを

劇団、劇場の皆様にも感じていただければ。

以下、桑田さんの講評づづきです。

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●『火盗人』劇団千年王國

こんなに“動ける”役者さんたちが揃っていたら、橋口さんは作っていて楽しくて仕方ないでしょうね。冒頭から物語に引き込まれるのは、ダンスや生演奏はもちろんですが、演技の質の高さゆえだと思います。堤さん・榮田さん演じる姉妹のじゃれ合いや、二人が父狼(櫻井さん)の膝に乗る場面や皆で丸まって(獣のように)眠るシーンなど、細かい動作がそこここに生きていました。

「『狼王ロボ』から一転…」とパンフには書かれていましたが、狭いZOOの舞台にぎゅうぎゅうに詰め込んだ演出は、もちろん去年の経験があってこその今年なのでしょう。(ファイヤーダンスには少し狭すぎたかもですが。)原作が逐一記憶にあった昨年の『狼王ロボ』が、つい原作との比較作業になってしまったことを思えば、そういう意味では個人的には今作の方が楽しめた面もありました。

火守鳥から「火」を手に入れるため空を飛ぶくだりはどういう状況なのだろう、と疑問に思う部分もありましたが、それはそれとして、神話的表現として受け入れました。神話を舞台化するということは、象徴的に語られる人類の進化なり動物の擬人化なりをビジュアル化しなければならないわけで、そこには省略や飛躍が当然生じるのですが、見せ方の巧みさは心地よいものでした。

大地とともに生きるか、火(原始の火から原子の炎へ)を手にして大地をも滅ぼすか…ここにも当然3.11を取りまく物語が展開されていたのだと思いますが、滅びを覚悟した人類が新しい朝(未来)を迎えるラスト、荘厳なEDでしたが、正直に言うと、個人的には美しい演出と、言葉で語られぬ結末にちょっとごまかされてしまったような気もしています。

…いや、もっと正直に言うと、実は、席(座椅子席)が狭すぎてお尻が痛くなって、物語に集中するのには限界を超えてしまっていたのでした…。これは作品の問題ではないので、僕としては非常に残念でもありました。椅子席で観ていればもっと落ち着いて物語に集中できたのかな。

民族楽器とダンス、という強力な武器は、他のカンパニーとは既に一線を画しており、同じ「芝居」というカテゴリで語るのは難しい面もありました。(もちろん、それらを武器とするためには確かな脚本と演出と役者力が必要であり、それが既に千年王國さんの強みなのだと思いますが。)

満足度★★★ 観るものを捕えて離さない作品力

エンタメ性★★★ 生演奏・ダンスを交えた独特の魅力

会場との相性★★ 狭くてちょっと…。火も…。広い会場ならどう見せたか?

 

●『西の空と東の空のあいだ』第6回さっぽろ学生演劇祭 チーム 西の空と東の空のあいだ

学生達が学校の枠を越えて集い、ひとつの作品を完成させるには、独特の苦労もあり、しかしそれゆえ収穫も多いのだと思います。今回は初めての学生以外の演出(劇団欠陥工事/ビル タテル)ということもあって期待していました。

(憶測ですが)全員練習が難しいであろう中で、うまい作りだなあとある意味感心した構成・演出でした。しかし残念ながらエキストラのセリフが聞き取りにくい部分も多々あり、セリフのスピードより、聞こえを優先して欲しかった場面もありました。
観劇後、「スピード感を優先させた」という演出意図もあったことを知りましたが、演出というより“雑”に見えてしまったというのが正直なところであり、残念でした。

二人旅の中で起こるシュールな展開や表現は、舞台表現の「なんでもアリ」のひとつだと勝手に納得しすぎていて、(少年の夢とは気付かず)すっかり騙されていました。変だとは思ったんですがね 笑。個人的にはシュウを演じた松崎修さんの後半の変化に感心。

核となる内向的な男の子の行動理由がささやかであり、その年齢の少年の独特な心情を推し量りはするのですが、動機がというよりその見せ方が、物語全体を動かすだけの説得材料としては不十分だった気もします。また、この男の子を女性が演じていたところに違和感を感じました。どうしても女の子に見えてしまったのです。この役者さんがどうこうというのではなく、適材適所という意味で、ほかに選択肢はなかったのでしょうか。

色々と不満を述べてしまいましたが、前述したように、互いの学びの場としても、とても意義のある取り組みだと思いますし、出会いと始まりの場でもあると思いますので、今後、また各々の方が何を見せてくれるかを楽しみにしたいと思います。

満足度★☆ 演出がやや勝ち過ぎの感が

物語性★★ シュールな演出に展開への興味を持ったが…

説得力★★ 骨子は悪くはないが、見せ方が弱かったか

 

●『きりがたりシアター〜「しらゆき」ほか〜』ヨミガタリを楽しむ会

安定したチームワーク。昨年に比べ、今回はキャストそれぞれが役割の幅をまた広げているなあと感じました。まっつさん(松本直人)のヨミガタリは一段と滑らかで、昨年も拝見したのですが、今回は一昨年の舞踏とのコラボの時のような動き(読み手でもあり、演じ手でもある)を時折感じました。殊に、谷川俊太郎を小さな子供に読み聴かせて飽きさせない魅せる力はすごいと思います。たまたま演目の関係でだとは思いますが、今回は千陽さんの切り紙メインの演目がなかったのが個人的には残念でした。

尺にあわせてエピソードを出し入れした『しらゆき』も楽しかったですが、ベープの小人たちはもう少し美術をブラッシュアップして欲しかったかな。(まっつさんの最低でも4人以上の小人を声の表情豊かに楽しく演じていたのでなおさらでした。)

また、これは交流会でお聞きしたのですが、『しらゆき』には僕の思っていた以上のメッセージが込められていたとのこと。それが伝わってこなかったのは、一概に作り手側の問題ではなく、既知の物語だと言う僕の先入観もあったのだと思いますが、後から知って残念に思いました。

満足度★★☆ 身近なエンターテインメントショー

チームワーク★★★ 協業の幅を広げている感じ。皆楽しそう

テクニック★★★ まっつさんの大人向け演目にも期待

 

●『The Lady Blues 〜彼女に何が起こったか〜』劇団怪獣無法地帯

傾向として「楽しませる」ことに主眼を置いていると思われている同劇団。今回は長編作品としては初の渡邉ヨシヒロ作・演出作品ということでしたが…これが一筋縄ではいかない作品でした。

中身が「オヤジ化」している彼女が、ある朝目が覚めると外見がホンモノのオジサンになってしまう。――字面でみるとどこかで聞いたような話ですが、これを棚田さんが演じるのが抱腹絶倒を通り越してずるいの一言 笑。中身が女性のはずの棚田さん、どう見ても僕には「棚田さん」にしか見えないのですよ。ある意味役者が勝ち過ぎてはいるんですが、これが楽しい。

恋人の“変身”に右往左往するしょうもない青年を(個人的には本来、狂気の役者のイメージが強い)梅津さんが好演。そこに彼女の妹や変な中年男性(長流3平さん)らが絡んでくるのですが、ドタバタを必要最低限の人数で見せても世界が狭くならない脚本に感心しました。少人数なので、クライマックスでの全員鉢合わせがすっきりと観やすい。登場人物の橋渡し役の妹(原田さん)が、リアでいたら結構ひどい女なんですけどどこか憎めなく、しかも汚く見えないのは役者さん自身の魅力ですね。

中盤、ベンチで棚田さんが梅津さん相手にしんみり述懐するシーン。ここで棚田さんがだんだん女性に見えてきて(笑)…ところが音楽がフェードインしてきて、内心「音、邪魔!」と思ったのですが…ここもオチがあるという 笑。
とにかく笑わせることに徹底しているようなのですが、それでいて結局棚田さんは女性に戻れず、オジサンのままそれなりに生きていこうとする。そこには「今を受け入れれば心が軽くなるよ。そこからまた歩いて行けばいい」という明快なメッセージが。(文字にすると言わずもがななんですがね。)作者はもちろん、3.11をも含む現代に生きる人々へのメッセージを込めているのだと思います。

EDの「体が入れ替わった同士」の鉢合わせシーンも、あまりにお約束で、それもちょっと勿体ぶった演出でしたので、その瞬間は「ここは見せるにしてももっとタイトに」と思ったのですが。しかし作者の狙いは入れ替わりの解決によるハッピーエンドではなく、女性の体になってしまった彼も、現実と折り合いをつけてそれなりに歩み始めているんだということを見せたかったのか、と納得しました。

「何にも考えず笑ってください」と言いつつ、明確なメッセージを深刻ぶらずにさらっと発する渡邉脚本のスタンスはとても素敵です。今後の劇団の作風にも楽しみを広げました。

満足度★★★ 楽しく、温かいSF(?)コメディ

オジサン度★★★ 初見でも絶対棚田ファンになる

幸福感★★★ 心が軽くなる素敵なストーリー

 

●『不知火の燃ゆ』座・れら

もっとハードな物語を予想していた人も多いのではないでしょうか。それほどに、ある意味ささやかでおだやかな物語でした。そしてそれがより一層、告発性を感じさせました。僕が観劇途中でまず連想したのは『風が吹くとき』でした。

ただし、もっと直接的(ドキュメンタリータッチ)な物語を想像していた方はがっかりしたのかも知れません。また、ハードな物語を連想して観劇を敬遠してしまった人もいるかも知れません。僕は水俣病に関するひと通りの知識を持っているつもりでしたし、ニュースやドキュメンタリーも観た記憶はありますが、この作品はそういったものをなぞるのではなく、「その時のその場所」にいた人々に寄り添うことで、(いわずもがなですが)今、3.11以降の問題やその他の社会問題にも通じる普遍性を獲得したのだと思います。

今も厳然として続いている水俣病問題に関わる当事者の方など、立ち位置の違う方から見れば賛否両論があるのは当然ですが、このスタンスでの作品づくりは間違っていなかったと思いますし、この作品を観た人が、それを通じて少しでも多くの事象に目を向けることが出来たのならその価値はあると思う。ですから、僕は客席に若い方が少なかったことが残念でした。(とても観やすい作品ですよ、と伝えるにはどうしたらよいのか。告知方法にも一考の余地ありですね。)

物語の重要部分を占める、暮れゆく海を美しく表現した舞台美術も素敵でしたが、淡々と演じる竹江維子さん(母親役)の終盤の姿には圧倒されました。また、若手キャストも、ベテラン陣の落ち着いた演技に負けず物語の成功を担っていたと思います。芝居が終わっても役の姿勢を崩さずメッセージを送り続けたフクダトモコさんはもちろん、TGR2011で鴻上作品を演じた前田さん・信山さんと客演の玉置さんは、同じサンピアザ劇場の舞台で、それぞれ昨年より一層細やかな演技を見せてくれました。

満足度★★★ 観やすさと、『素麺』に並ぶ重厚さ

作品の意義★★★ フィクションであるがゆえの普遍性

上質なキャスト★★★ ベテランの安心感と若手役者の手応え

 

●『貧乏ネ申─The Poor Zombies─』赤星マサノリ×坂口修一 二人芝居

息づかいのように繊細な音響と照明。TGR参加劇場では、ここ(ZOO)かBLOCH、あとはこぐま座(!)くらいでしか実現できないのではないでしょうか。「二人芝居」はまさにお芝居の基本、ベーシックでスタンダードで、奥深いなあと改めて感心しました。
OPの坂口さんは、そのままひとり芝居でどこまでも行ってしまうかと思いました。落語「貧乏神」が頭にあったからなおさら。最後まで落語をなぞりつつ、落語を知っていても知らなくても楽しめる巧みな翻案でした。(実は、ひとり芝居にしてもこの話は成立するのではないか思いました。観てみたいです。)

坂口さんが、人間のしょうもなさや弱さ、したたかさを丁寧に見せてくれていました。(さらに、北海道人の僕には「関西弁効果」も加味されていたと思います。)赤星さんは、メガネのせいもあったのでしょうが昨年のふたり芝居(アイ・ワカナ博)とは別人のような希薄な存在感で、「ネ申」だと思っていなければ見続けるのが辛いような…いや、ネ申だからあの希薄さなのでしょうね。まんまと物語に取り込まれてしまいました。頼りなさや生真面目さも赤星さんならでは。アフタートークでキャスト入れ替えバージョンの話も出ていたようですが、僕はこのキャスティングだからこそ、人間「松田」と「ネ申」に魅かれたんだと思います。弱さが人を動かし、弱さが人を優しくさせる──必ずしもハッピーエンドではない物語のトーンも素敵でした。

演技中にリアルタイムでアップされていた主人公・松田のツイートを観劇後に見返すと、坂口さんが「松田」として、何度も何度も舞台上で生きていたのだとひしひしと感じました。このつぶやきをリアルタイムで確認できたら、それもまたすごく楽しかったでしょうね。(実現は難しいとは思いますが。)

唯一の不満があるとすれば、会場が寒かったこと。電気を止められた主人公の気持ちがすごく伝わってきたというか…それが狙いかな?笑

満足度★★★ 芝居の醍醐味を味わえる秀作

脚本・演出★★★ 予備知識(落語)と序盤の展開で一気に期待が高まる

キャスティング★★★ 一人芝居のコラボのような趣ある演技

 

●即興組合×yhs『シアタースポーツ』

噂には聞いていた“即興芝居”。初見ですが、TGRエントリー作品の中では一番リラックスして楽しみました。客席の多くが演劇関係者だと思うので、観客とプレイヤーの線引きをきっちりしないとただの“身内ショー”になってしまうと思っていたのですがそれは杞憂でした。面白かった。ここでもまっつさん(松本直人さん)の手慣れた司会ぶりに安心感を持って観ていました。

客席からの「お題」を即興で演じるのが観てて一番スリリングで楽しかったです。僕が観たのは初回のステージだったので、照明・音響さんも含め、出演者もまだ色々戸惑いもあったようですね。もちろん、回答に詰まる面白さも含めて「ショー」だと思うのでそれはいいのですが、“芸人バラエティ”ではないので、素人の僕を、舞台役者としてもっと感心させてもらえると思っていました。それがちょっと残念。その中でも、両チームリーダーを筆頭にキレのよさやポジティブさを発揮してくれた人もいました。若手さんは、修行だと思ってもっと“役者として”攻めてほしかったかなあ。(回を重ねるごとに面白くなっていったと推測しておりますが。)

また、ゲームとして見せるのならもう少しショーアップする工夫も今後は必要かと。せっかくの得点板が客席から見えにくいなど、ささいなことですが基本的な部分がおさえられていなかったのが残念(しつこいですが初回の感想です)。そういった部分で客席に温度差を作ってしまってはもったいないと思います。

プレイヤーが若手中心だったのですが、ベテラン役者陣のプレイももっと観てみたいなと思いました。また、今回は「ゲーム」だったのですが、もっと物語寄りのインプロの演目にも興味が湧きました。とにかく、プレイヤーの皆さんはお疲れさまでした。観劇初心者への入り口としても成立するので、TGRのレギュラー演目になったりすると面白いかもしれないですよね。

満足度★★☆ 客席と舞台の一体感が楽しい

SHOW要素★★☆ もっとショーアップして見せてほしい。そして演技は真剣に。

おつかれさま度★★★ 普段の演技とは違った疲れ方をするでしょうね 笑

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以上が桑田さんの講評・後半戦その1です。

ちなみに「その2」は明日UP予定。

「その2」をもって桑田さんの講評もついに完結!!(予定)

お楽しみに。

 

 

TGR審査員の講評 第6弾

6回目の今回は、㈱ウエス CREATIVE5営業企画プロデューサーの北田静美さんです。

北田さんは皆様おなじみの国内最大級の野外ロックフェスティバル『RISING SUN ROCK FESTIVAL』の営業統括など、数多くのイベントやプロジェクトでご活躍中。2011年2月より『札幌小劇場スタイル』プロジェクトを立ち上げ、演劇・アート・カウンターカルチャー等の文化をもっと多くの人々に広げてゆきたいと奮闘中です。審査員、おつかれさまでした。

それでは以下、北田さんの講評です。
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TGR札幌劇場祭2012に参加された劇団の皆様及び関係者の皆様、大変お疲れ様でした。そして、大賞をはじめ各賞を受賞された皆様、本当におめでとうございました!
昨年からTGRに参加させていただき、今年はエントリーされた27作品を観劇致しました。(スケジュール調整の都合で、残念ながら札幌ろうあ劇団舞夢さんの『この手で』を観劇する事ができませんでした。申し訳ございません。)
今年は審査員2年目ということもあり、全体を通して昨年以上に楽しませて頂きました。
気軽に楽しむ事ができた作品、なんだか泣けてきた作品、色々と考えながら帰路についた作品、少しだけ気が重くなった作品、今思い出しても笑える作品等々。。。
脚本や演出そして役者さんの他にも、美術や音響・照明や衣装や道具等にも心惹かれました。あくまでも自分が経験してきた分野の視点からですが、上記の全てのバランスがそろってこそ最高の舞台が出来上がるのではないかと思っていますので、今年は各エントリー作品をよりじっくり観察?(笑)いや観劇させていただきました。
凝縮された期間の中で、たくさんの作品にふれると感じる〈その年にしか味わえない空気感〉を今年も感じる事がき、とても嬉しく思っております。
非常に簡単ではございますが、TGR2012の感想を綴らせていただきたいと思います。
(講評というような偉そうなことではなく、個人的な感想でございますので優しい気持で読んで頂ければ幸いです。)

《エントリー作品につきまして》
今年のエントリー作品(全28作品)の中には、人形劇やミュージカル・無言劇や海外の劇団等のご参加もあり、作品のバリエーションに富んでいたように思いました。

☆昨年以上に、人形劇や児童劇のクオリティが高い事に感動しました。人形を操るというよりも人形と役者さんが 一体となって演じているという方が正しいのかもしれません。子供達の嬉しそうな顔や、本気で怖がっている様子を 見るのも観劇の楽しみの一つとなりました。『オンディーヌ』に登場する大きな人形の素晴らしさはもちろん、『人形芝居プロジェクト☆ライオン』のドラゴンや仮面、『ねじまきロボットα』のロボットちゃん達、『大どろぼうホッツェンプロッツ』の愉快な人形達、そして『人形劇なかま パラパラポナ』の個性的な猫達等々、人形達の作り手の方の気持ちが、観ているお客様にも伝わりそれが感動に繋がるのでは!とも思いました。これからは大人がハマってしまうような作品も、是非!創っていただけたら嬉しいなぁと思います。

☆今年は、じわじわと心の奥に染みてくる作品が多かったように感じました。特に大賞に輝いた『素麺』は、静かな日常の奥にある胸を締めつけられるような思いが座敷童子によって癒され、また新しい未来に向かって進んで行く(スミマセン。。。言葉では上手に表現できませんが。。)という、しなやかに生きる日本人の強さを感じられる作品だったと思います。他にも、各賞に輝いた『不知火の燃ゆ』や『火盗人』『モスクワ』からも、人間として忘れてはいけない感情や人と人との繋がり、そして心の奥にある本当の気持とは何かを作品を通して気づかされた様な気がしました。

☆公開審査では、『劇団パーソンズ』・『弘前劇場』・『実験演劇集団「風触異人館」』・『ごはんは』の皆様の講評をさせていただきましたが、他のエントリー作品の中でも『星くずロンリネス』や『赤星マサノリ×坂口修一の』 二人芝居』・『劇団怪獣無法地帯』では自分のツボで大笑いさせていただきました。他の舞台でも、生演奏の素晴らしさや個性的な役者さんの際立った演技には目を見張るものがありました。また衣装の美しさや細かい小道具、そして照明が醸し出す雰囲気に圧倒され、生火には心を鷲掴みにされました。 できることなら今後は舞台としての表彰だけでなく、美術や照明や音響などの優れた部門の表彰も視野に入れてはどうかと思いました。

《TGR2012に参加して感じたこと》
今年もTGRに参加させていただき感じたことは、役者さんの姿勢(熱意や気持ち)は観ている側に確実に伝わる!ということです。舞台というのは真剣勝負ですから、〔まぁこんな感じで。。。〕とか〔さぐりさぐり感〕的な役者さんの心模様は、なんとなく演技を通して観客の皆様に伝わっているような気がしました。それもこれも全部ひっくるめて舞台を楽しめば、観劇はもっと楽しいものになるのではないかとも思います。五感に突き刺さってくる作品を観た後の、お客様の表情たるや!それこそ役者顔負けですもの。(笑)
さて、TGRでの観劇はもちろん、最近特に舞台に足を運ぶ度に感じるのですが、多くの役者さんがユニットや客演等をされている公演が多い気がします。もちろん、そういう舞台も大好きですし、新しい出会いもあるので素晴らしいと思っています。ただ脚本や演出等の問題もあるかと思いますが、できれば各劇団のオリジナルメンバーでの公演を増やして頂ければ、その劇団さんの本質や、役者さんの存在感がより際立ってくるかと思います。舞台という宝箱には、華のある役者さんもいれば、穏やかな存在感を放つ役者さんもいらっしゃいます。またどうしても苦手な役者さんがいるかもしれません。そしてその中には、音や映像やこれまたたくさんの美術や衣装や光という宝物がたくさん詰まっています。そんな作り手の皆さんの、色々な宝物が入った大切な宝箱が増えれば増えるほど、観客である私たちはとても嬉しい気持ちになるのです。そして自分好みの宝箱に出会う旅に出るのです。(なんだかどんどん妄想がふくらんでしまいました。。。すみません。。(笑))

最後に、昨年も書かせていただきましたが、舞台でしか味わえない臨場感や緊張感や感動を多くの皆様に感じていいただく為には、やはり時代にフィットした告知方法やプロモーションを展開すべきと考えます。プロモーションと言っても固く考えることはありません。人に思いを伝えるという作業をより多面的にすることで、多くの方が舞台に出会い、そして自分好みの劇団を見つけることで、気軽に劇場に足を運ぶという環境作りが簡単にできるのですから!! 私も微力ではございますが頑張ってプロモーションさせていただきます!

また来年も、LOVE&PEACEなたくさんの作品に出会えることを期待しております。
皆様、本当にお疲れ様でした!感動をありがとうございました。
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以上、北田さんの講評でした!
お忙しい中、1か月間の審査員、
本当にありがとうございました!

さて、今年も残りあとわずか、
TGR・審査員の皆様の講評も残りわずかです。
次回の講評をお楽しみに!

TGR審査員の講評 第5弾(前半戦)

今回は今年のTGR審査委員長・桑田信治さんの講評をご紹介します。

桑田さんは毎年、観劇された作品ひとつひとつに、心のこもった丁寧な感想を寄せてくれます。
今年は★による独自の採点もされているようです。
たぶん桑田さんほど演劇を愛し、TGRを楽しんでいる方はいないのではないかと。
いつもTGRに積極的にかかわっていただき、本当にありがとうございました。

今年の講評もボリューム満点。2回に分けてご紹介します。
まずは前半戦、どうぞお楽しみください。
以下、桑田さんの講評です。

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公開審査会で話させて頂いた内容を先んじてUPさせて頂きましたので、TGR2012全体に対する僕の感想はそちらをお読みください。各賞を受賞された皆さん、心からおめでとうございます。そして、エントリー団体はもちろん、会場の内外で劇場祭に携わったすべての皆さん、本当にお疲れさまでした。来年もまたそれぞれのスタンスでさっぽろアートステージを盛り上げていけたらいいですね。

一昨年の公開審査会初開催の年から参加させて頂いたわけですが、まるひと月の土日をすべて観劇スケジュール(一日2~3本)で埋めるのは、楽しくもあり、辛くもありといったところでした。今年もまた開演時間等の関係で『第13回教文13丁目笑劇場』『この手で』『ALIVE』の3作品は拝見することができませんでしたことをお詫びいたします。

前にも書いたのですが、僕は、「舞台表現を受け止める」というのはとても個人的な作業だと思っています。出逢いといってもいいです。しかし、審査委員という肩書が付いてしまうと、好むと好まざるとに関わらず、その発言には個人の感想以上の意味が付加されてしまいます。毎年反省ばかりですが、一昨年・去年・今年と、それぞれに舞台芸術を愛し、温かさと厳しさと公正さをもって真剣に審査にあたる皆さんとご一緒できたのは、とても貴重な体験でした。

昨年以上の長文になってしまいました。関係者の皆さんは、ご自身に関わりのある部分だけでも読んで頂ければと思います。 (今回は「超」個人的感想として、★★★による評価も付記させて頂きました。)

舞台芸術に対する審査や、講評のあり方について、僕なりに思うところもあるのですが、一般客代表の僕には、やはりこのやり方しかできませんでした。
3年間、ありがとうございました。

 

●『ゲズントハイト〜お元気で〜』(ナイスコンプレックス)  

 観劇してはじめて「行動展示演劇」という言葉の意味がわかりました。クリニクラウン(医療道化師)を目指す青年の姿を通して描かれる人と人との繋がりを真正面から描いた作品。ほぼ出ずっぱりの主役(主宰)は熱演でしたが、そこに特出した感じを受けたというより、周りの一人ひとりを丁寧に描くことで主役を浮かび上がらせる、脚本の細やかさが印象的でした。行動心理などの描き方はひとつ間違うと説得力が欠け興醒めしてしまうところですが、ひとつひとつ、とても丁寧に積み重ねられていたと思います。役者陣もみな熱演でした。照らいなく直球勝負してくるセリフの応酬は清々しく、嘘のない心の動きを積み重ねるにはいったいどれくらいのエネルギーと嘘のない心で作品と対峙しなければならないんだろう──そんな事をふと思いました。登場人物たちがみな「いい人」ばかりなのですが、それが、作者の「人」に対する視線の優しさと、中途半端な悪役や否定的なリアリティを挟む余地のないほどの切実な想いとして伝わってきました。

物語後半で歌を歌うシーンがあり、それにより作品全体の評価を損ねてしまうことはなかったですが、正直僕は苦手でした。
これはあくまで好悪の問題であり、作者の選択ですのでそれはそれでよいと思うのですが、あそこで醒めてしまう人もいるという事を客観的に念頭に置いておく必要はあると思います。もちろん作者は、僕なんかに言われるまでもなく、それ(好き嫌い)を越えて引き込むだけの力のある作品づくりを目指しているのだとは思いますが。

話が多少脱線しますが。本作や同劇団に限らない話をさせて頂くと、「ご都合主義」「そんな上手くいくはずあるか」あるいは「もっとこうした方が良かったのでは」といった思いを観客に抱かせるのは、初歩的な劇作の問題をのぞけば、多くは完成度の問題だと僕は思うんです。こだわるならばとことんこだわり、妥協なく昇華していけば、好悪を越え、それは頷かざるを得ないものになるのだと思います。

2時間10分という長時間でしたが、長さを感じさせませんでした。しかし、あえて言えば、序盤に現在の時間軸のシーンを見せてから過去に戻る、という組立は必要はなかったのでは。スパッと過去からスタートした方が観客にタイムラインの混乱を招かず、その分尺も短くなったと思うのですが。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★★ 誠実さあふれる直球勝負

舞台演出のアイディア★★☆ カーテンの使い方に感心

ストーリー★★☆ 小学生~大人まで幅広く薦めたい

 

●『D-Dark Dawn of the DRAGONS』(人形芝居プロジェクト☆ライオン)

はしご観劇で、申し訳ないながら短編2本目(『オオキナタマゴ』)の途中からの入場になってしまったのですが、とたんに視界に飛び込んできた人形の造形と動きの素晴らしさに一瞬で釘付けになりました。そしてメインプログラム。出遣いを逆手にとった仮面劇と人形劇のコラボともいえる独特のスタイル、恐いほどに動く人形たち、戸川純の楽曲をやまびこ座で聴くのも驚きでしたが(笑、それ以上に、舞台美術や予想を越えた展開(背景セットが更にケコミになっている、など)に圧倒されました。

男女の恋のかけひきを傀儡のドラゴンで表すシーンでは、たぶん子供たちは2匹のドラゴンの巧みな動きに引きつけられたのだと思いますが、大人たちには仮面の男女の手遊びとして見せる。大人向けのこの作品に子供たちも取り込む巧みな仕掛けだと感心しました。しかし、年端もいかない子供たちは夢でうなされるんじゃないでしょうか(笑)、それほどに、僕の「こぐま座人形劇」の概念からは想像できない妖しく素敵な作品でした。

気になるのは、この完全に「大人向け」の特異な人形劇を、いかに多くの一般観客向けに告知できるかということですね。とてもマニアックで、観ればその魅力に虜になってしまう人はたくさんいると思うのに、「知る人ぞ知る」公演に留まるとしたら大変残念です。当人たちは好きなものを好きなように上演することで満足なのかも知れませんが、ストーリーのバリエーションも含め、多くの鑑賞眼にさらされれば、初見のインパクト以上の、もっともっと素敵な作品が生み出されると思います。そういった意味も含め、今後の活動にとても期待しています。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★★ 完全大人向けの人形劇

マニアックな美術★★☆ ミニチュアのドラゴン物販希望!

コンセプト★★★ 独自の世界観を現出できる実現力

 

 ●『NO.721』(リリカル・バレット)  

ユニットとして、所属役者に縛られず作品本位で役者を集められるという強みを、谷口さんは毎回非常にうまく活かしていると思います。(もちろん本来「演劇ユニット」とはそういうものなのですが、最近あまりに便利に使われ過ぎている言葉でもあるかなと。) 演出がどこまでホンに食い込んでいるのかは、オリジナル初演(時速246億/御笠ノ忠次)を観ていないので判りませんし、既存本ということで台本に対するいくつかの感想は保留しておきますが、谷口さんが「この作品しか思い浮かばなかった」というのはとても納得。このストーリーは僕も大好きです。

幾つものカンパニーの顔ともいえる役者が集結しながら、それぞれが暴走することなく、とても抑制され、高いレベルでバランスが保たれていたと思います。隅田さんは観るたびに上手くなってるなあと感心。櫻井さんに関して失礼ながら個人的には今まであまり演技の幅を感じていなかったのですが、今回、今までとは違った魅力を見せてくれました。僕の観た中ではベストアクト。

OPは谷口演出の真骨頂。高い役者力も加わっていつも以上にゾクゾクするほどの期待感。中盤のタイムパラドックスに関する会話では、説明的・哲学的になるこのシーンをいかにうまく乗り切るかがちょっと難しいところだったのではないかと。
実は今回のキャストの中で、途中まで一番違和感があったのは谷口さんでしたが、それは、一見主役に見える彼(=谷口)が物語を引っ張るというフェイクのせいかも知れません。そういう意味ではまんまとやられたのかな。

そして、最後になりましたが、今回の見どころはやはりラストの深浦さん。SF作品という触込みは集客手段として非常に有効ですが、「これはやはりタイムパラドックスを下敷きにした不条理劇なのかな」と思っていたところにあの結末。脚本が素晴らしいのは勿論ですが、ラストの「孤独と歓喜」を役者が表現しきれなかったら、せっかくの谷口演出も空回りしてしまったところでしょう。一人芝居に近い長ゼリフから(もちろん山崎さんのKYぶりがあってですが)一気に喜びを爆発させるラストを、深浦さんは見事に客席に共感させてくれたと思います。札幌の同年代の役者を見渡しても他に代役を思いつきませんでした。谷口さん自身を充てても別モノになってしまう。「TGR若手男優賞」というものがあったなら、深浦さんを推したいところでした。

エンターテインメントにこだわり続ける谷口さんの劇作は、観劇初心者への入口という意味でも札幌では貴重な存在です。オリジナル脚本じゃなくてもここまで「谷口演出」を見せつけることができるし、極端な話、今作は仮にご自身が出演していなくても評価の高いものになったと思います。このまま走り続け、劇場祭のファイナルステージへかけ上がる日が来ることを楽しみにしています。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★★ 実力派たちによる豪華な男芝居

舞台美術★★☆ 光る床が一幕芝居をよりドラマチックに

谷口テイスト★★★ 動から静、そしてラストのカタルシス

 

●『オンディーヌ』(TUC+KYOKU)

開演前から、湖の底のセットの美しさに目を奪われていました。古典的な筋立ての物語を、人形も交え、時に笑いも加えながら子供たちにも楽しめる作品として仕上げられていました。人形芝居屋(中学生による人形劇団ボンド)が客席後方から現れた時に、観客席の子供達の目がキラキラしていたのが印象的でした。

等身大の人形は、僕、大好きなんです。しかし、オンディーヌ役の役者さんが人形の主遣いをされていて、人形と同じ衣裳で操演されていたので、僕は人形より遣い手の方に気をとられてしまいました。双子もしくはオンディーヌ(役者さん)が自分の人形を抱えているように観えてしまったのです。妖精の時は人形のみ、城内では人間の役者さん、と、衣裳を明確に分けた方が集中しやすかった気がします。

王ちゃん(王様)が楽しすぎ(笑。ほとんどワンシーンなのですが王妃様も素敵。ただ、侍従や「王ちゃん」のアレンジの楽しさに比べ、騎士ハンスのしょうもなさが古典的で浮いていた感じがしたのがちょっと残念(まあ、そういう話なんですけどね)。大人の僕としては、もっと原作を離れてもいいから、ハンスにも感情移入できるような辻褄が欲しかったです。そうすればラストシーンの悲しい美しさをもっと感じられたかもしれないなと思いました。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★ 古典劇を楽しく見せるアイディアが豊富

人形美術★★☆ 遠目にはまるで生きているかのよう。

世界観★★★ 美術、照明、ダンス、想像力をかき立てられる美しさ

 

 ●『蝶、飛ぶ』(劇団十年後)  

暗喩や体制批判を含んだ社会劇という側面もあるのだとは分かっているのですが、僕はもっと単純に、下町の人情芝居的な楽しみ方をさせてもらいました。字幕が(いろいろご苦労はあると思うのですが)充分とはいえず、いろいろ脳内で補いながら見ていたのですが、字幕がなくてもおそらく8〜9割がた理解できるんじゃないかと思えるのは、やはり近しい国ならではですね。

どんどんお芝居のペースに巻き込まれ、楽しく笑うのと同時に、もっとガチガチの社会派作品も観たかったな、とは思いました。ともあれ、「字幕」と「セリフ」と「演出」の隙間を、「国民性」と「生活習慣」の差異を、乏しい知識と想像力で補いながら観る隣国の演劇の不思議な新鮮さを満喫した作品でした。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★ 肩のこらない人情劇。“芝居通”には…

笑いの万国共通度★★☆ 芸達者なコメディエンヌたち。

ストーリー★★ 昭和映画のような安堵感と、異国性が混在。

 

 ●『ねじまきロボットα』(トランク機械Theater)

OHPを使ったプロローグから、動き出す歯車(!)、こぐま座でスモーク(!)、お姫様(知北さん)の美しいシルエット・ダンス──ハコのサイズと相まって、過去に観た数多のお芝居のOPと比較しても屈指のドラマチックさに鳥肌。yhsの若手女優・曽我さんがロボットのαくんにとてもマッチしていました。立川さんの優しい口調も、子供たちに親しみやすいものだったと思います。お姫様も素敵。

人形、特にαくんの造形が僕には理想的。立川さんも曽我さんも人形遣いが上手いとは言えないのですが、出遣いに違和感がありませんでした。通常、人形遣いの方は操演&声優という感じで、ともすれば人形に話しかるような体勢で演じられる事が多いですが、お二人は常に客席を見、客席に向かってセリフを言い、人形と同時に芝居をしていたからだと思います。──これはどちらが優劣という話ではありません。今回のお二人は、役者としての利点を生かした演技を(人形とともに)していた、ということです。曽我さんは人形遣いであり、αくんでもありました。

「それなら、人形は必要なかったのではないか」という向きもあるでしょうが、子供たちが親しみやすいように人形劇にした──単純にそれでいいと思います。「これは人形劇じゃない」というお堅い意見もあるでしょうが、観客(子供たち)が人形劇だと思えばそれは人形劇だと思う。批評家が決める事ではないのではないかな。

αくんがなぜねじまきロボットなのか?のくだりや、「僕たちはいずれ動かなくなる。だからこそ、大好きなものに名前をつけて、大切にするんだ。」という立川さんのセリフ、クライマックスのやりとりなど、素敵なエピソードやメッセージの多くは、小学3〜6年生に観て、考えてもらいたいと切に感じました。第2作も楽しみですが、もしこの脚本そのままの絵本ができたら素敵ですね。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★★ TGR2012「僕の泣きそうになった3本」のひとつ

キャスト★★★ 曽我さんのキュートさ満開。

ストーリー★★☆ 予測されたが、心温まる結末

 

  ●『CRY WOLF!』(劇団パーソンズ)

大学のサークルを舞台にした一幕芝居。これといって重要な小道具も用いず、素舞台でも演じられそうなお話でした。今回、脚本がグンと成長したと感じました。緻密な構成に、セリフ外でも魅せる女性作家らしい心理描写。最後の最後まで興味をもって観ました。

主演の佐藤さん。最初は彼女らしい役回りだと思っていたのですが、二面性のある演技から、さらに展開しラストには…と、セリフひとつひとつを丁寧に演じようとする意思を感じました。TGR若手女優賞(架空)をあげたい熱演でした。芸達者な阿部さんを脇で使い切るという大胆さ。工藤さんの安定感など、役者陣の好演も光りました。

反面、序盤、事件が動き出すまでのサークルの描写は、主役陣不在の場面で他の役者たちの演技を観ているのが僕は少し辛かったです。きつい言い方になってしまいますが、全体的な役者のレベルアップとともに、役者力に合わせた厳然とした演出が必要だと思います。切るべき所は切る。それは演出家としての畠山さんの仕事です。

劇団のカラー、女性作家らしい脚本など、パーソンズのスタイルがますます確立してきたと思いますが、今後は男性役者ももっと使い切れるよう、更にホン作りにも磨きをかけ、もっともっと厚みを増した作品を見せて頂きたいと思います。次回作も楽しみにしています。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★★ ささやかだが完成度の高い物語

キャスト★★☆ 主役陣の成長と安定感

ストーリー★★☆ 先へ先へと最後まで楽しませる展開

 

 ●『水の駅』(実験演劇劇団『風蝕異人街』)

オリジナルの『水の駅』(転形劇場)を、僕は観ていません。これが初めての『水の駅』でした。風蝕異人街さんは以前から気になっていたカンパニーのひとつですが、拝見するのもまた初めて。

総勢11名のダンサー(役者)の濃密度にも圧倒されましたが、逆に、廃墟に埋もれたダンサーたちの気配のなさの方に驚きました。起き上がり、声なき声で叫び、諍い、そして立ち上がっていく人々は、大地から芽吹き、陽に向かい、やがて緑の葉を繁らす植物のようにも見えました。必ずしも陽の気ばかりではなかったですが(ほとんどが女性だったので、男性の僕には理解を超えた情念や、母性みたいなものもあったのかも知れません)。

目の前で行われていることが不思議なくらいの素晴らしい体験でした、ということを前提にして、僕の不遜な不満点をあげさせて頂くとすると、これはまぎれもなく「3.11」からの再生であり、今、演じられることの意義も十二分に分かるのですが、前もって、「3.11からの再生がテーマ」と広言する必要があったのかということ。それ(予告)による期待もあるのですが、僕は半ば確認作業のようになりゆきを見守ってしまっている部分もありました。また例えば、カーテンコールの「アヴェ・マリア」。これは終演後、美空ひばりさんの歌唱だと知りましたが、僕は、素晴らしい公演に感動しているのか、楽曲に感動しているのか、正直分かりませんでした(もちろん、両方だったわけですけれども)。

作品テーマに関する予備知識がなくても、この作品に込められた想いは十分に伝わったのではないか、とは思いました。ただし初見の僕には、有名な楽曲が多用されていた方が観易かった、というのも正直なところですが。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★☆ 初見の僕でも非常に観やすい、入りやすい作品

舞踏の素晴らしさ★★★ 色々な意味で圧倒された

演出★★☆ 楽曲を減らし、SE等でもよかったのでは

 

●『素麺』弘前劇場

コンカリーニョの天井の高さを活かした舞台美術(書棚)は、それだけで東北の旧家を思わせる心地よい空間。乱雑に積まれた本を整理するという物理的作業は、想いを整理するという「心の復興」の象徴でもあるのでしょう。昨年の『海辺の日々』では描かれなかった踏み込んだ描写のこの作品は、時を経た今だから語れる、(作者にとっても)語られなければならない物語だったのだと思います。

もちろん忘れてならないのは、会話の独特な軽快さ。「海辺の日々」と比べても、より特化された会話の応酬は、脳をえらく刺激してくれます。ちょっと飛躍した例えですが、普段見慣れている舞台芝居の会話シーンが1球1球カウントされる野球中継だとしたら、こちらはまるで、一瞬たりとも目を離したら面白さが半減してしまうサッカー中継のよう。(もちろんこちらにも緩急はあるのですが。)前作以上に役者さんへの負担は大きかったと思いますが、特に、昨年は脇役だった田邉克彦さん(今回は主役陣)の口調が個人的にすごく好きなので、とても堪能させて頂きました。

「座敷童子」という存在を登場させることで、未来や再生の象徴を(昨年の猫よりも)より能動的に動かしてみせたところもさすが、と感心させられました。「三人姉妹」もそうですし、多くの暗喩が未来への意思を指し示す中、クライマックスで、闇の中に浮かび上がる「素麺」を食べるシーンなど、重要なことは言葉少なに、しかし確実に観客に提示してくれる。ビジュアル的な計算も含め、とても整理された、ある意味風格のある作品でした。

これは現在進行形の被災地の物語であり、次作ではまた別の時点、別の視点の物語が描かれるのかも知れませんが、可能であればぜひ今作の再演を北海道で、と願っています。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★★ 脚本・演出・役者ともに非常に魅せられる

会話の巧みさ★★★ 硬軟織り交ぜたやりとりから目が離せない

テーマ性★★★ 東北人ならではの説得力と、作品の迫力

 

●『大どろぼうホッツェンプロッツ』チーム・パース  

舞台美術や装置が意欲的。カラフルな衣裳をリバーシブルにして、人をケコミに使ったり、折りたたみ式(?)で舞台一面に花畑が広がるシーンなど、アイディアやギミックが満載。パステル調の色づかいも素敵でした。

明るいシーンでは(これは僕が舞台から離れた席で観ていたからだとは思うのですが)主役2少年の人形がちょっと背景に埋もれ気味で、照明のコントラストをもうちょっとだけ利用すれば見やすいかな、と思う場面も少しありました。

飛行形態の魔女や鳥になった大泥棒などの形状が個人的には特に好みでした。魔女と妖精の対決シーンなど見所もたっぷり。割と徹底した悪役である魔女に対し、ちょっと間抜けなホッツェンプロッツという組み合わせもほっとできるポイントで、ホッツェンプロッツが捕まるくだりから追っかけっこのラストも、憎めない感が◎。原作のよさもあるのでしょうが、抜群のチームワークでとても楽しい冒険物語として魅せてせてくれました。

余談ですが、終演後になって気付いたんですがホッツェンプロッツを操っていたのは、あの、「あっちゃんと遊ぼう!」の腹話術のおじさんですよね!合同で行う人形劇ではそれぞれの劇団名がわからないことも多いので、そういうのもパンフレット等でわかると楽しいかなと思いました。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★☆ 子供たちを引きつける王道人形劇

物語性★★★ 起伏ある冒険物語を高いレベルで作品化

チームワーク★★★ 場転の手際も見ていて楽しい

 

 ●『極道のイドラ―彼の超豪華な思い込み―』星くず☆ロンリネス

このお芝居に出てくる極道の面々はことごとくかっこいい。虚勢や恫喝をスタイルとしてなぞっているだけではなく、きちんと役に入り込んで演じている感じが伝わってきたからだと思います。それでいて、(彼らはごくまじめに極道をやっているはずなのに)いつの間にかおかしな展開(おれおれ詐欺など)に巻き込まれて行くシナリオの妙には作者のセンスを感じました。作者本人が「詰め込み過ぎ」というように確かに詰め込み過ぎでしたが(笑)、それは悪くなかったと思います。ただ、クライマックスより、小ネタの方が面白かったのが問題かなあ。

極道/カップル/クイズ番組という3つの舞台を同時進行しつつ、クライマックスでシンクロさせる――「極道ザッピングコメディ」と銘打たれていますが、「極道」はオカズであり、作者の狙いはザッピングからのシンクロだと思うのですが、ちょっと「策士策に溺れる」というか…目的(シンクロ)のための手段(ザッピングコメディ)が、目的にウエイトを置きすぎ、クライマックスに到達しただけで満足してしまったかのような印象を受けました。ラストシーンもほんのちょっと蛇足。作り込まれたコメディシーンや大騒動の収拾のしかたにセンスを感じるだけに、作品全体の仕上がりに、個人的には不満を感じています。まだまだ作者は余力を残しているような印象を受けました。もっと昇華できたのではないかと。

この作品は審査員の評価もおおむね良く、『CRY WOLF!』とどちらを推(お)すか、というような新人賞のなりゆきだったように感じます。僕自身もそうでした。結果、賞は逸したのですが、それについて、ことに星くず☆ロンリネスの皆さんは「正統派のお芝居にコメディでは勝てなかった」という風にはとらないで欲しい。前述したような作品全体の完成度と、どこまで昇華できたか、という部分の差だったと思います。

個人的には、ザッピングやシンクロにこだわらずに“三谷幸喜モノ”みたいなウエルメイドな極道コメディにすることもできたのではないかと思ってしまいました。←これは、作者が本来作りたいものとは違うのかも知れませんが、それ一本で成立するほどの、逃げ道のない作品づくりに一度取り組んでみるのもいいんじゃないでしょうか。本来の「ザッピングコメディ」を作ったとしても、もっと完成度の高い作品ができるようになるのではないかな。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★☆ 作者のコメディセンスを感じる楽しい作品

キャスト★★★ 客演を含め個性・魅力ある役者たち

小ネタ満載度★★★ 惜しむくらいなら詰め込み過ぎでOK!

 

●『The Dream Diver』劇団アトリエ  

「精神と身体はどちらが自分であるか。」という問いに対して、多くの人はおそらく、「精神が自分である」と答えるでしょう。しかし私は「身体も自分である」と考えます。――これは、上演台本のあとがきから引用させて頂いた作者の言葉ですが、僕もこの考え方に賛同します。今回の作品もまた小佐部さんらしい、問いかけと自らの答えを明確に表明した作品でしたが、それと同時に、「物語らしい物語」を書くという作者の新しいチャレンジだったということでした。

しかし残念ながら、脚本の緻密さが舞台では(特に演出面で)充分生かされていなかったように思います。「天界」の舞台美術は素敵でしたが、装置を動かすことができないこともあり、照明のタイミングの悪さも含め、場転がだいぶ苦しかった気がします。それも含め、物語(脚本)の良さを舞台で生かし切れていない、ありていにいえば演出が未完成、という感じでした。特に後半は役者力で乗り切ったという印象でした。

その役者力ですが、所属役者さんについては、今回出演していた柴田・小山・伊達・有田さんはそれぞれに前作からさらに成長を感じました。伊達さんは見事な重厚さを見せ、有田さん・小山さんは役処をきちんと押さえた演技。物語への集中から逸れそうになる僕の心を何度も引き戻したのは柴田さんでした。

昨年、僕は「役者の成長と定着」が今後のアトリエさんの課題ではないか、と述べましたが、今回出演したメンバーは、僕の予想を越えた力を見せてくれたと思います。僕個人の印象としては、昨年の『もういちど』では役者さんたちをリードしていた演出が、今回は逆に役者力に助けられた、という感じです。――もちろん次作ではまた作者が役者を追い越し、そうやって全体がレベルアップしていくのかもしれません。まだまだ発展途上の若手劇団さんなのですから、今作は今作として拝見しましたが、演出の精度をあげての再演を望みたい作品です。

…不遜な物言いになってしまってすみませんが、不遜ついでにもうひとつ。これは作品の内容とは全く別個の話ですが、僕が不満だったのは、会場パンフの「代表あいさつ」。ネタバレを避けたのか、それとも軽い内容の裏に何か意図があるのか…頭の悪い僕にはわかりませんでしたが、小佐部さんの真摯さが伝わらない内容で残念でした。せめて上演台本のあとがきのような内容を載せる訳にはいかなかったのでしょうかね。

個人的絶対評価(3段階評価 ☆は0.5)

満足度★★☆ 緻密な「小佐部ファンタジー」

ストーリー性★★☆ 物語として先を期待させる展開

役者力★★★ 所属役者それぞれに独特なたたずまい

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以上、桑田さんの講評・前半戦。
後半戦は近日公開!
お見逃しなく!

TGR審査員の講評 第4弾

ちょっと間が空いてしまいました、すみません。

4回目となる今回は、こちらも今年から審査員になっていただいた編集者・ライターのドゥヴィーニュ仁央さんです。

ドゥヴィーニュさんは、フリーペーパー「WG」(2007年9月より不定期発行)の編集者であり発行人。「WG」という名前には「WIT=ウイットに富んでいて楽しい」、「GRAVITY=真面目に、真剣に」という二つの言葉が表すように、読んで楽しいものを真面目に作っていきたいという想いが込められているそうです。

では、以下、ドゥヴィーニュ仁央さんの講評です。
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劇団の皆様、及び関係者の皆様、約一カ月間にわたりお疲れ様でした。
自分が見た作品に関しては、自身のサイト(http://www.freepaper-wg.com/ )で紹介していますので、一つ一つの作品に対してはそちらをご覧頂くとして、ここでは全体的な感想を書かせて頂きます。

TGRでは、期間中多くの作品に触れることで、この社会や人間という存在について、はたまた演劇というものに対して思考を深めることのできたことが、自分にとって大きな収穫でした。
演劇観や表現に対する考えは人それぞれだと思いますので、以下に述べることも、あくまで私個人の考えということで読んで頂ければ幸いです。
今回審査員として参加するにあたり、事前準備として、初めて演劇についての本を数冊読みました。演劇史や、近年世界的に加速している傾向など実に興味深く、演劇の奥深さに興奮しつつも、現代美術やコンテンポラリーダンスなど多ジャンルとの境界線はだんだん交じり合っていくのだろうな、と、実際に東京などでもいろいろと見て回って感じたのでした。
さて。
ますます多様になっていく演劇ですが、その点からすると、今回賞をとった『素麺』、『モスクワ』、『不知火の燃ゆ』は、そのことを象徴する並びのような気もします。
一見ストレートなスタイルに見えながらも、物語を語る要素がとても豊かで、かつその土地と強く結びついている『素麺』。ストレートなスタイルでありながら、全体を貫く姿勢に「今」が反映されているように感じた『不知火の燃ゆ』。そして従来のスタイルなんぞは自由に解体し、作品を立体化させる上でいろいろな要素を投入していく『モスクワ』。
もちろんこの3つ以外にも、個性あふれる素晴らしい作品はいくつもあり、早くも来年のTGRが楽しみになっております。
もう一つ。
TGRは、エントリー作品に対して講評があるということも利点の一つだと思います。建設的な意見がもらえる良い機会ですので、若い方々にはもっと冒険の場として、この場を利用してほしいなと思いました。
どんなジャンルの表現でも、それに触れた人からいかに言葉(考え)を引き出すかが大事なのだとしたら、「可もなく不可もなく」なものって、案外何も語ることができません。それならむしろ、否定的な言葉だとしても語らずにいられない作品の方が面白い。
審査員から辛口コメントをもらったとしても、個人的には、そういう劇団は今後「化ける」可能性が大きいと捉えておりますので、ぜひ化けて、来年驚かせてください。
長くなりましたが、最後に、ある冊子で目にした與那覇潤さんの『多義性の愉しみへ――東アジアから考える芸術と政治』という文から、一部をご紹介して終わりにしたいと思います。
「一つの解釈しか存在しえない芸術はつまらない。(中略)むしろ観劇のあとに、全体のメッセージについて、個別のシーンの意味をめぐって、同伴者とのあいだでもすれ違うさまざまな評価のなかで、最後まで一つの結論には収斂しない多様な解釈の森に分け入る、その愉しみを享受したいと思って、劇場に足を運ばれている方がほとんどではなかろうか。」
本当にどうもありがとうございました。
また来年、どうぞよろしくお願いいたします。
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以上、ドゥヴィーニュ仁央さんの講評でした。

TGR審査員の講評 第3弾

三回目となる今回は、今年から審査員に加わっていただいた図書館司書の本間恵さんの講評をご紹介します。

はじめての審査員、いかがでしたでしょう。週末はきっと1日2本!2日で4本!なんていうことも当たり前で、プライベートな時間も奪われ、精神的にも体力的にもとても大変だったのではないかと思います。しかも、ただ観るだけではなく、審査しなければならず、さらに審査した結果を公開審査会で語らなければならないわけですから、この過酷さは尋常ではありません。もう頭が下がりっぱなしです。本当にありがとうございました。これに懲りず来年もどうぞよろしくお願いします!
では、以下、本間さんの講評です。
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初めて審査をさせていただき、26本の演目を楽しみました。常の観劇なら、自分の好みだろうと予想した公演しか見ないわけですが、この一か月間は、実に多様な舞台表現を目撃することができました。殊に人形劇というジャンルには、色々な発見がありました。

審査会の講評については、正直に話したつもりです。いやなこともきっと云いました。ときには表現者が、舞台で自由な表現をするのにリスクも負って立っているのなら、観る側だってそれなりの覚悟で発言するのが礼儀だろうと思ったからです。

持ち時間が短くて言葉が足りず、「あの審査員は何も解っちゃいない」と感じた方もいるかと思います。でも、劇場に足を運ぶお客さんの多くは、それこそなんにも知らない、予備知識のない状態で観劇するのだということも、劇団の方には忘れないでいてほしいと思います。
人形劇の方々は、「飽きた」だの「これ、いつ終わるの?」だの容赦なく正直な声をあげる子どもたちを前に演じることが多いせいなのか、全霊で客席に向きあっているなと感じました。わざわざこんなことを書くのは、あらかじめ観客の理解を限定している印象を受ける公演もあったからです。演じる側が、狙い通りの客席のリアクションに「してやったり!」というのももちろんアリです。でも、それだけなら一方通行かと。観る側とせっかくの舞台空間を共有する甲斐がないと思います。エントリーシートに記入した「公演の見どころ(アピールなど)」が功を奏しても、だからいい公演だった、とはならないのが、演劇のおもしろいところだと、私は思います。客に媚びる必要はないけれど、芝居を打つなら全方位に向けてであってほしい。それで見終わった後に、ああでもない、こうでもないと、勝手な解釈が観客の側もできる。そんな客席との融合が、演じ手の本望ではないでしょうか。
大賞候補にあがってきた演目はみな、そういう自由な解釈の「余地」が観客の側にあったと思います。少なくとも私は、弘前劇場の暗闇の場面について、イントロの「通過点」について、れらの「水俣」であって「フクシマ」でもあるメッセージについて、赤×坂の「神」について、プロジェクトライオンの人形と仮面について、千年王國が持ち込んだ「火」について―、「観た?」という人たちとさんざん語り合いました。
自分が感じたことを、うまく話せなくとも言葉で伝えて、また、思ってもみなかった他人の解釈にほぉ~っと感心してその視点に立ってみる―。いま、そんな新たな視点を得て、これからも目撃したい劇団が増えたことがとてもうれしいです。
そして先に云ったことと矛盾するようですが、これから新人賞にエントリーしようという方々は、「はじめてのお客さんにも分かりやすく」っていう点にはあまりこだわらず、自由にやってみたらいいと思います。何だかんだ言いましたが結局は、それでも自分がやりたいことをやり続けるしかない。いいと思ったものを問い続けるしかない。届くか、届かないかはわからなくても信じて―。表現というものは、ときには無傷のままでいることはできないんだと思うんです。
そして最後に―。新人賞受賞の報を聞いたパーソンズの畠山さんが号泣するのを間近に目撃して、「怖いこと引き受けちゃったんだなぁ」と、さらにも覚悟を決めたことを告白しておきます。
みなさま、本当にお疲れさまでした。「共感」と「驚異」を、ありがとう。来年もよき出会いを、どうぞよろしくお願いします。                        (本間 恵)
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以上が本間さんの講評です。

さて、明日は誰が登場するでしょう。
乞うご期待!

TGR審査員の講評 第2弾

TGR札幌劇場祭2012大賞の講評第2弾は、
劇評誌「続・観劇片々」を主宰する松井哲朗さんです。

松井さんは深川にお住まいで、
今年も毎日のように審査のために
JRで札幌と深川を往復されたそうです。
1か月間、本当にありがとうございました。
松井さんも審査員は今年が最後ですね。
とても残念です。3年間、おつかれさまでした!

では、以下、松井さんの講評です。

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札幌劇場祭12・参加作品の感想

僕が観た今年の劇場祭参加作品のすべての感想は、僕が創っている個人誌「続・観劇片々」第39号(13年1月発行予定)に、劇場祭期間中の参加作品以外にも観た各作品を含めて、今年の10月~12月中に僕が観た全作品の詳細を発表する予定です。
その後「シアター・ラグ・203」のホームページにも同じ文章をアップする予定です。

従って、ここでは今年の劇場祭参加作品の中から特に僕の印象に残った幾つかの作品について、その要点だけをご紹介することにいたします。

ところで、昨年にお二人、そして今年、またお二人の新しい審査員の方、しかも僕から見れば年齢が娘か孫みたいな女性ばかりですが、この方たちの感想とか意見とかが、とても新鮮だったことに正直言って驚いたことを最初に申し上げたいと思います。

何か狭い穴に閉じこもってしまったような僕の感覚に大穴を開けてくれたような気持でした。演劇の多様性みたいな観方がとっても刺激的で、そういう方たちがどんどん演劇世界を開いて深めて下さるんだなあという喜びを強く感じました。

これからもどうぞ演劇の為に盛んな発言をしていただいて僕の眼を見開かせて下さるように厚いエールを送りたいと思います。有難うございました。改めて深く感謝いたします。

オンディーヌ
トップシーンで6人のダンサーが華やかに小さな笑い声をあげながら踊ると、隣の席の小さな女の子が「あっお魚だ……」と声を上げたのには、その感性の鋭さ・豊かさに正直驚いた。この子供の声が、この純愛悲恋物語の哀しさ美しさのすべてを象徴しているようで印象的だった。

仮面と人形による舞台 The Dragons
仮面を附けた役者が仮面パントマイムとでもいうような表現で演じる。
欲望や愛憎などの人間関係を、様式的ともいえる仮面劇で象徴的に面白く表現する。

ゲズントハイト
挫折した芸人が、ある総合病院を訪れ道化を演じることを療養のプログラムに入れてくれるように頼みこむ。
この新しい使命感は素晴らしい仕事だし説得力もあるけれども、現実にこの道化師がどうやって暮らして居るのかが判らず、全体がとても現実的な舞台の中のその部分だけリアレティが薄いから、理想主義の気負いだけが浮いていて感情移入が出来ない。
それに反して、かつて同じグループの芸人が今は被り物の怪獣役で生計を立てているというリアリティが厳然としてある。
役者たちは堅実な演技で、それぞれの個性がはっきりと出ており葛藤・対立が上手く表現されている。特に子供たちを演じる大人の役者たちに全くの違和感がないのが特筆ものだ。

蝶、跳ぶ
下町の貧民街、貧しい暮らしで一々些細な諍いをしながらも基本的には助け合って日々を送っている。
再開発の国家プロジェクトでこの街一帯が立ち退きを通告される。反対運動の先頭に立ったボンハクが公務執行妨害で刑務所行きとなる。
ただ一人残った身内の妹・ソニは若い美人なのに精神発達障害者で満足な生活が出来ないが、町内の人たちが面倒をみている。中でも役所の福祉主任は親身である。
やがて彼女は事あるごとに吐き気を訴える。周りの者は相手を詮索して、かの福祉主任がお為ごかしに陵辱したのではないかと囁き合う。
やがて誤解が解け、万事解決した時に再会した兄妹は感涙にくれる。そのとき子供が欲しかった若夫婦の妻が、つわりの今度は正真正銘の吐き気を催す。そのときソニは蝶が飛び立つのを見つける。一同の飛躍の象徴か……
これは下町の人情劇であると同時に、国家体制と庶民との関係を具体的に表現した社会劇である。

ねじまきロボットアルファ
愛に目覚めた王妃の物語であり、話は途中でほとんど結末を推測できるが、僕はそこで二つの結論を推測した。一つはこの舞台の通りのハッピーエンドであり、もう一つは王国の破滅である。僕は破滅の方が現実に対する警告として演劇的であろうと思った。でもそうはならなかったのはやはり未来に対する希望であろう。
それともう一つは、この舞台がなぜ人形劇なのか? という疑問がある。ロボットという設定は、現実の人間の存在がロボット的だというアイロニィーを見て取れるから良いのだけども、これを人間劇ではなく人形劇であるということは、その人間→人形→ロボットという二回の意識変化が必ずしも二乗になって強化しているとは思えなかったのだ。
むしろ人形で表現するまだるっこしさの弊害の方が大きくて、マイナスのような感じが強くしたのだった。子どもの観客にも馴染みやすいように人形劇にしたのだとは思うのだが……別に人形劇にする必然性は感じられない。ロボットだから人形というのは安易で逆に煩わしく感じられる。

CRY WOLF!
ミステリーィっぽい物語。純情な女性が思いを寄せた男に悪意はなく単に男に婚約者がいた、という理由で振られるのだが、心に傷を負った女性が自分にそっくりな妹にその切ない感情を打ち明けた結果、妹はその男に復讐を企てる。
ある大学のサークルが舞台。そこへ乗り込んだその女性の妹は、その部の顧問となっている教授に迫り、徐々にその謎解きが始まる。冷静で常識があり決断力もある部長以外は、その顧問教授はゲイだったり、卒業しても入り浸る先輩が落ちこぼれで惚れっぽいダメ男だったり、極端な霊媒者、そしてこれも落ちこぼれの成績不良女子大生だったり、性格表現が極端で嘘っぽいとも言えるが、演劇とは、そういう極端表現が象徴的に表すとも言え、その度合いが微妙だ。
この真実を知ろうと乗り込んだ妹・和花が、好奇心旺盛な少女である一方、敵と目指す教授に迫る時の鬼気迫る迫力とのギャップは凄まじく、さらに過去追憶のシーンで仇と目指す教授を相手に、切ない純情な姉をも演じる三様の女を演じ分ける演劇の魅力を充満していた。演技賞に値する女優だと思われる。
タイトルの「ウルフ」とは、辞書(研究社リーダーズ英和辞典)によると「貪欲なホモあるいは色摩の別名でもある」と記載されていた。

この手で
演技者には聴覚の無い人と普通の会話が可能な人たちとが混じっているから、普通に話す役の人の言葉は聴覚の無い観客のために手話で、逆に手話で演技をする役者さんの台詞は耳の聞こえる観客のためにふつうの言葉で通訳をするスタッフたちがいるのだ。とても手間の掛かる舞台である。
話は単純明快だ。生来、聴力の無い女性が、どれだけ辛い過酷な人生だったかを、老年になっての「我が人生」と題した講演会を通して延々と再現する。
それは現実に通訳を通して表現されて切々と我々聴覚に異常のない観客たちの胸を打つ。
辿々しく、とっても時間の掛かる表現は、僕たち耳の聞こえる者にとっては、とてもまどろっこしい。だがそれが逆にこの人たちのまどろっこしさを直接に感じられて強く胸を打つ効果があるのだ。
この舞台は、当事者が創る感動的な啓蒙劇であり、演劇というよりも宣伝広報のような作品なのではないのかとも思われる。だからこのような舞台を他の舞台と同じ評価をする事に大きな違和感を覚えるのだ。
聴覚だけでなく視覚までなくした主人公の夫のシーンでは架空の話だと分かっていながら涙が禁じ得ない……
お涙頂戴の人情話じゃないよと思いながら、ご本人たちが演じると余りにもリアリティのあり過ぎる展開に思わず感情移入してしまうのだ。こういう演劇をいったいどうやって他の舞台と並べて評価すれば良いのだろうか……

素麺
平田オリザ氏に始まったいわゆる「静かな演劇」の僕の規定は「劇とは葛藤のプロセスである」というテーゼから外れて舞台上では具体的な葛藤が見えないけれども、実は「表面下では噴火寸前のものすごい葛藤が燃え盛っている」という演劇だと考えていた。この「素麺」は一見そんな演劇でありながら、実はもっと別の深い物語の展開があった。
3.11の悲劇を引き受けて心理的に苦しむある家庭の人たちの物語である。一見、何事もない3人の姉妹だが、それぞれ一人一人の中に消すことのできない傷がある。
中でも一緒に旅行中だった両親を津波で亡くした次女の傷は深い。旧家の大きな書庫で伝来の書籍を整理する長女と3女、2女はボランテイァで被災地から今夜遅く帰る予定だ。
この旧家の書庫の舞台装置が圧巻だ。大きな部屋の天井に届くほどの高さに造られた舞台両脇の本棚にはギッチリと本が詰まっていて、それは正に旧家の歴史であり知の集積であり、現在の電子工学による知の集積とは別個の古いけども人間の匂いが詰め込まれた象徴でもある。
この旧くて大きな家には市職員の寄宿人やリホームをしている出入りの職人たちがいる。ある朝、そんな人たちが三々五々これからのことや今日のことなどを話している。
震災で避難している親戚の男にしか見えない座敷童子は人間的な古き良きものの象徴、職人さんたちは新しい世界を造ることへの象徴であり、気持ちを改めて全員で素麺を食べるラストシーンは新しい未来への出発だった。
それとなくいろんな人や物が様々な象徴になっている舞台であった。

大どろぼうホッツェンプロッツ
時代とか地域とかには余り関係はないであろう。大泥棒が世間を悩ましているといっても至極、牧歌的な雰囲気だ。
二人の少年が、せっかくおばあさんにプレゼントしたコーヒーメーカーをホッツェンプロッツに盗まれたために、それを取り返そうとする一大騒動記である。
案の定、魔女と泥棒は滅び、コーヒーメーカーは無事に取り返し一件落着なのだが、最近このような単純な勧善懲悪の冒険譚が珍しいので面白く堪能した。
まず思ったのは、失礼ながらかなり高齢と思われる人形を遣う淑女諸女史たちのエネルギッシュな演技だ。特に冒頭の一糸乱れぬ集団ダンスには驚嘆した。全編このエネルギーで押し切る。しかもそれが息切れしないのが凄ましく圧倒される。
次に人形遣いは全員がフード付きの長いコートの様な物を羽織っているのだが、それがそのシーンによってさまざまなデザインの物に取り替えられるのだ。そのきらびやかな変化が一種の舞台装置としても楽しめる。
物語自体はありきたりだが、それをエンターテインメントとして表現した力技に驚嘆する。人形劇も日進月歩だなあ、っていうのが実感だった。

水の駅
荒野の真ん中に水道の蛇口が一本立っていて栓からはチョロチョロと水が滴り落ちている。
ボロを纏って草臥れ果てた人たちが苦しみながらやってきて、その水を貪り飲む。互いに先を争い、人を押し退けても僅かな水滴を必死に飲む。
それだけのシーンを延々と1時間20分に亘って繰り広げられるのだ。その間、台詞は一切ない。微かで苦しげなうめき声や嘆声が漏れるだけだ。
ひたすら生きるエネルギーを求めて必死に足掻き水を求める一種の地獄絵図だがそこに絶望はない、明るさを求めてさまよう人たちの悲しいけれども未来を捜し求める群像である。あらゆる時代を象徴する無言劇、鎮魂劇だ。
かつて転形劇場が太田省吾のオリジナルで演じた時は少し違ったと思う。同じ作りなのだが、人々は高度成長経済の中で精神の荒廃に苦しみ何かを求めてさまよう群像だったように思う。それを無言劇で表現してすべてを観客の想像に任せたのだといえようか。
太田省吾は無言劇が著名で『小町風伝』『地の駅』『風の駅』なども無言の力が表す表現を大事にしている印象が大きい。だから役者の肉体を強調する風蝕異人街には最強の演目とも言えるのだろう。
僕は、その転形劇場の『水の駅』を直接に観たのではなくTVの中継を観た間接観客だったので、はなはだ無責任な感想なのだが、そのときは第二次世界戦争ですべてを失った人たちの群像のように感じたのを思い出す。
今日の舞台は、演出のこしばの言う通り、まさに3・11を鎮魂する物語であろう。いまこの戯曲を舞台化した風蝕異人街の演劇人としての見識を賞賛したいと思う。
この戯曲は具体的な時代や場所を特定していないが、その時代その状況によってさまざまな表現が可能だと言うことであろう。厳粛で重い主題だが、ずっしりと応えて心に深く残る見事な舞台である。
すこし残念だったのは、全編に鳴り響く音楽と冒頭の静かなシーンに流れる荒涼とした風の効果音である。
これらは一切不要だと思った。俳優は台詞を語らずダンサーは踊らないという原則であるならば一切の余分なものに頼らず、ストイックに純粋に肉体だけで勝負をして欲しかった。そして欲を言うならば、出演者が1人を除き全員が若い女性だったのだが、できれば老若男女の出演が観たかったのだ。

火盗人
神話とは何か? 長い人類の歴史の中で、現実に起こったある部分を抽出し要約して象徴的に描くことであろうか?
この舞台を観ながらボンヤリとそんなことを考えていた。この舞台で描こうとしたある部分とは何か? それは当然、人間が火というエネルギィを手に入れた事実とその経過であろう。
舞台は本火を使って絢爛豪華にいささかスリリングに展開される。火の神から火を受け取るというか、寒さを防ぐために強引に火を奪い取るシーンは、女優3人を含めたそのダンスが象徴するようにエネルギッシュで圧巻だ。
これは物語というより、人類が経験した歴史の必然性の検証のような気がする。そういう意味ではこれは演劇というよりも人類史の絵巻物のような感じが強い。人類に火を与えた男として名高いギリシャ神話のプロメテウスの物語が人類に幸いを齎したと同時に現在ではその文明に悪乗りした人類がのっぴきならない災害に苦しむ現実の源を再確認するようだ。
この歴史の検証というのは、この舞台に限らず表現という作業の大事な仕事の一つなのだと思う。それを素直に考えて舞台化し、そしてエンターテインメントとして魅せた力は凄いの一言に尽きる。
特に世界各地の民族音楽楽器を使ったライブ演奏の音楽陣、火守鳥を演じたダンサー、狼の父の力演、この人たちの表現が、この様式美の強いこの舞台の魅力を支えていたと思われる。
孤独に泣く姉の声が、閉じこもる洞窟の中で木霊する音響効果は、どの様に作られていたのだろうか?

THE Lady・Blues ~彼女に何が起こったか?~
ある日、共寝して翌朝に目覚めるとなぜか蜜子は中年のオヤジ・ミツコになっていた。ハハハ、これってカフカの「変身」じゃない? そこから大騒動が始まる。変身して視野が変わることで世界が変わるのか? 全体を通じるエネルギッシュでギャグ満載な表現に客席は爆笑の連続だ。
結局、探していた父親と亡くなった母親とが入れ替わっていたというラストになるわけだが、このシーンは要らなかったかなっていうのが僕の感想だ。無理に合わせたような帳尻だし、中年オヤジに変身したオヤジ女性が、そのまま生き辛い人生を何とか笑って生きていく方が現実的じゃないのか? 一種のハッピーエンドだが、エンターテインメントとしてはありかなって思うけど、合理的な解決をしないで、曖昧なままの幕切れの方が余韻があったような気がする。
だがエンターテインメントとして久しぶりに堪能したのだが、ちょっと長すぎた。ラストはほとんどハッピーエンドが予想されるのだから、もっと整理した方がスマートかなとは思うけど、こういう舞台は泥臭く引っ張る方が良いのかもしれない。ともかく久しぶりに不条理の大喜劇であった。

不知火の燃ゆ
物語の基本は高度成長経済の犠牲になった、静かに穏やかに暮らしていた人々が原因不明の奇病に取り付かれて少しずつ苦しみ、最後にはあんなに豊かだった故郷を捨てざるをえず命まで落とさざるを得なかった悲劇を淡々と描くだけなのだ。
だから逆に、この舞台は現在、世界中に蔓延する物質的豊かさの元にある基本的な矛盾を静かに告発するのだ。そして当然それは今一番関心を持つべき原発の恐ろしい未来の現実までをも告発するのだ。
様々なシチュエーションの中での様々な苦悩が、それとなく描写されるのだが、その一つ一つのシーンが伏線となってラストの母親の子どもたちに対する絶縁宣言に繋がる。そのお互いに解りあっていながら絶縁宣言しなければならないラストシーンはあくどいと思いながらも訴える心情は強い。これこそ演劇の強さだ。
昨秋の初演で、演劇は客観的に観るように努めている僕としては珍しく泣いた舞台であった。それほど激しく感情移入させ訴える力の強い芝居であったのだ。
ただ劇場の設備の関係で、不知火の燃える独特の照明効果が初演のときのように正に息を飲む美しさが感じられなかったことが残念であった。
今回の観劇でも終演後にカーテンコールで全く身体の自由の効かない主人公の妹が兄に抱えられて出てきたのは、この舞台が現在の現実そのものだというアピールであり、全く台詞もなく演技もなくひたすら舞台に居るだけのこの役が、すべてを表現していることを改めて確認した。

シアタースポーツ
落語に「三題噺」というのがある。観客からお題を3つもらい、その題を含んだ物語を即興で1編に仕上げるのだ。
その中には『芝浜』のように夫婦愛の傑作として現在でも人情話としては第一番の人気を保っている作品があるがその時の贔屓の観客から出して頂いたお題は ① 人物=「酔っ払い」 ② 品物=「財布」③ 場所=「芝浜」である。
今日の「シアタースポーツ」という舞台は、それに近いかもしれない。3人一組の3チームが、あらかじめ観客から書いて頂いたタイトルや一言の台詞、そして上演直前に客席からだしてもらったタイトルを、ある一定の制限、たとえば「役者同士が身体を触れ合ったときだけ台詞が言える」とか「ミユージカル」で演じるとか「危険な場面ではスタントマンに代わってもらう」とか「ベルの合図で架空の言葉になる」とかほとんどナンセンスな制約の元に即興劇を演じて3人の審判員の5段階の判定によって優劣を決めるのだ。
つまりこの舞台は、即時的な対応性と職人的な技術の巧拙を競う訳で、ドラマが生まれる可能性は少ない。
今日の舞台も合計15作品が上演されたのだが、いかにも現在の多くの若者たちの喜びそうなナンセンスなお笑いが多く、満場爆笑・哄笑の1時間半ではあった。だがそれはドラマの本質がもつ共感ではない。表面的な滑稽さに対する刹那的な笑いであろう。
だがここで本当のドラマの卵が生まれたのだろうか? 否である。だがただ一つだけドラマが産まれる可能性のある作品があった。
それは『髭』という観客が声を上げたタイトルで即興に作った舞台だ。権威の象徴としての髭によって傷つけられた娘がいつの間にか自分にも髭が生えて、父親の髭の攻撃で自分を失いそうになるのだが、それを越えて力強く生きていくというストーリィを即興で演じた。
タイトルに対応する即戦力や即興的な演技力は甲乙付けがたい。問題は物語の力だと思う。そういう意味ではこの『髭』が一番に印象に残った作品であった。

モスクワ
物語は全くない。詩のような断片的な語句を繰り返し、そして何度も何度も同じシーンが頻出し、その語句を歌い上げたり、リアルに喋ったり、踊ったり、あるいは様式的な演技をしたりする。
その語句とは「ここを通ると、ここは通過点になる」、あるいは「大河の氷が轟音をたてて崩れると春が訪れる」などモスクワと直接に関係のない語句が多い。あるいは、モスクワ駅の近辺の日常の、さり気ない雰囲気が親近感を強めて語られ、それが何度も何度もリフレインされて印象付けられる。ほとんど動く立体抒情詩とでもいうような舞台だ。
それなのに、突然1986年が出て来て、おそらくそれがこの舞台のキィワードになる。この年の4月26日に、チェルノブイリ原子力発電所で爆発事故が起きたのだ。その状況が抽象的な群舞のような表現で展開される。
通った場所は過ぎ去った地点だという認識、崩れさる氷の轟音は春の予告だという思い……それらの過去を肯定し、明日を希望する明るい思いを諧謔味の強い演出で、この不思議な象徴的表現を描き出し、突如強い不安の充満する未来を予言する。物語のない進展だが時間の展開に決して退屈のしない新鮮な舞台であろう。
この脈絡のないルフレーンする長台詞を覚えた記憶力と、喋りにくいロシア語の駅名を確実に記憶して次々と渡り台詞で繋ぐサーカスのような技術に、役者の魂消る技術を堪能するというサービスもあって意外な楽しみもあったのだ。

デイヴィッド・コパフィールド
小説家・ディケンズが産まれる以前にその父はすでに亡かった。誕生すぐにも、気の弱い母親は家族の多い中で遠慮勝ちに生きている。
今では逆にうらやましい位の親戚縁者に囲まれて成長するのだが、優しく親切な身内ばかりではない。しかも母親はたった一人の彼を残して男の許へと去って行くのだ。それからは孤児同然のデッヴイットは親戚・知人を盥回しにされて成長する。
だがデイヴィットはそんな環境のなかでも怯むことなく、しかも頭脳明晰な彼は、学業優秀で人生へと旅立つ。
その課程での、彼の関わった様々な人たちの、誇張されたほどの善悪様々な人々の個性豊かな対人関係が描かれる。だが2時間に亘る、それらの人々との関係の描写は次第に退屈する。

ルドルフといっぱいあってな
夜間運行のトラックに迷い込んで、田舎から東京の大都会へ紛れ込んだ猫=ルドルフの冒険話。
捨てられた為に世間の猫たちには反抗心が旺盛だが同じはぐれ猫には妙に優しい大ネコ、ルドルフが名前を聞いたときに「いっぱいあってな」と答えた通り様々な名前を持つ強い大ネコ、イッパイアッテナ。
それからはその大猫に保護されていろいろと生き方を学んでいくルドルフ。生まれ故郷の岐阜行きのチヤーターバスに便乗して懐かしい飼い主のリカコさんの許へ帰りたいと二人で計画していたとき、イッパアッテナは別れにルドルフにご馳走しようと思って富豪の飼い犬・デビルから肉を分けて貰おうとして逆に暴行を受けて大怪我をする。
それを知ったルドルフは我を忘れて仲良くなっていた金物店の飼い猫・ブッチーと協力してイッパイアッテナを救い出す。そのときルドルフはイッパイアッテナといつまでも一緒に暮らそうと決心する。
教訓的な言葉が頻出するが物語は簡単な冒険譚である。犠牲を覚悟する友情とか、空威張りの無意味さとか学習の大事さとか、特に友情の大切さであろうか。
人間俳優も混じって、猫たちの動きが誇張されていながら猫が良く動きリアルな感覚が印象的だ。

ALIVE
先日、札幌で姉妹病死事件が起きた。40歳前後の妹は精神発達障害で小学低学年の知力しかない。姉は一生懸命に働いていたが、妹の面倒を見るために不十分な収入しか得られない。妹も施設に馴染めない。福祉の生活保護も当事者たちの気持ちに必ずしもフイットしない。姉が急病になり妹は保護者を失って餓死した、それをそのまま再現したドキュメンタリィ舞台だ。
この舞台の中で、妹が憧れる素敵なモデルのショウ場面や、仕事の出来るキャリァウーマンの切れ味鋭い仕事のシーンなどがショウアップされて展開する。少々過激で誇張が激しいが妹の切ない憧れが悲哀を感じさせる。

以上、ごく簡単に要約してご紹介しました。

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以上が松井さんの講評です。
明日は今年から審査員になっていただいた
図書館司書の本間さんの講評をご紹介します!
ご期待ください。

TGR審査員の講評 第1弾

2日に幕を閉じたTGRですが、
今年も1ヵ月間、雨の日も風の日も雪の日も
ひらすら札幌の演劇を見守り続けてくれた
TGR審査員の皆さん、本当にありがとうございました。

今日からはそれぞれの審査員の方々からいただいた
「講評」を本欄でご紹介していきます。
内容も文字数もすべて自由としています。
TGRに参加した劇団の皆さん、ぜひ今後の糧にしてください。

第一回目は、
認定NPO法人北海道市民環境ネットワーク理事長の
秋山孝二さん。

審査員の任期は3年となっており、
秋山さんは今回が、審査員最後の年となりました。
長い間、ありがとうございました。

では、秋山さんの今年のTGRの講評です。
(以下、原稿)
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審査員3年目、地域で演劇を担う、支えるすそ野は、この3年間を見ただけでも大きな進化・深化を実感致します。今年も私の評価の視点は、「まだ一度も演劇を観たことが無い、或いは敷居が高いと敬遠しているごく普通の市民に対して、劇場に足を運んでもらう努力・意欲を感じること、芝居を通して伝えたいメッセージ、問題提起が明確であること、そして新しい何かを追いかけている姿、等です。基本的に『素人』の立ち位置にこだわりたい」、でした。以下、「劇場祭」公開審査を終って感じることを書き留めます。
1) 昨年3・11を経て、今年のオリジナル脚本にはそれ以降の時代をにじませる雰囲気が漂っていました。創り手も観る側も、「3・11以降」をはっきり意識して生きている気がしましたね。大賞・特別賞2作品は、三つともに大震災・津波・原発事故の犠牲、及びその後の対応へのメッセージでしたが、昨年とは違って、新たな時代の始まりをしっかり引き受けて前に進んでいる姿も感じ取れました。演劇を通じて創作活動に携わる方々の矜持を受けとめて、感動致しました。

2) 弘前劇場の今年の公演、「素麺」はその中でもとりわけ素晴らしく、セリフ、間合い、照明、舞台装置等、完成度の高い作品でした。現実と真摯に向き合う作者の姿勢、3・11以降を生きている者が「歴史を引き受ける」と力強いセリフ、一人一人の生きる「物語」が舞台の本棚からも感じられて、「生き直す」との新たな出発を感じ取りました。終了後はしばし立ち上がることができずに、その余韻に浸っていましたし、出口にいらっしゃった長谷川孝治さんに、「素晴らしい作品ですね」と、声をお掛けして帰りました、このような芝居をありがとう、と言ったお礼の気持でしたね。

3) introの「モスクワ」は、その題名からも魅力があり、どんな公演なのか興味津々でした。「わたし、ドブリニンスカヤ駅のマクドナルドに行く・・・・」、繰り返しのフレーズが私には少々耳障りでしたが、他の審査員は全くそんなことは無かったようです。「通り過ぎれば、そこは通過点」、この繰り返しも「分かったよ」と私は心の中ではそう呟いていましたが、ロシア語の文字を記号に、環状線をデザインとしてのサークルに、モスクワ、パリ、東京と、想像力は世界を駆け巡りました。そして、「1986」とそれ以降の世界、アントン・チェーホフ「三人姉妹」、映像の斬新さ、リズム感とスピード感、イトウワカナさんの「脱家族」、「個とコミュニティを見つめ直して境界を越えていく」心意気を感じました。前の若い女性が食べていたカップのスープみたいなもの、後で分かりましたが入り口で販売していたボルシチだったようです、ピロシキも売っていたと分かり、大変残念なことをしました。劇場に来て突進するごとく座席に着く余裕の無い私は、楽しみも半減なのでしょうね。

4) 座・れら「不知火の燃ゆ」も衝撃的でした。戸塚直人さんの演出、水俣病を取り上げてはいますが、これは明らかに3・11原発事故を「放射能公害」と意識した作品。新たな社会問題としての「差別」、「分断」、それをことさら声高に叫ばずに抑制し、日常のやり取りの中で表現したあたりに、心に響くものを感じました。公開審査会後の交流会では戸塚さんともしばし歓談できて、その辺の意図を伺うことができました。役者の方々ともお話して、舞台で観る表情とは違った側面を見た貴重なひと時でした。

5) 札幌座「ディヴィッド・コパフィールド」は、協働の場としての「札幌座」の4番目の公演でした。ディケンズの自伝的小説64章の原作を2時間の脚本にまとめ、21名の役者が登場して、100以上の登場人物をあのシアターZooの空間でこなす、まさに意欲的挑戦作品だと思いました。「どこまで削ぎ落とせるか、何を残すのか」、構成・演出の清水友陽さんの葛藤を垣間見る気がしました。コパフィールドの人生、山あり谷あり、多くの人々の出会いそれ自体が彼の人生の宝物なのでしょう。多くの客演の中で、特に亀井健さん、小林エレキさんが、これまでのTPS・札幌座になかったカラーを呼び込んでメリハリが出ていて、コラボレーションの面白さがまさに発揮された作品だと思います。

6) 一昨年からずっと感じていたことに、「人形劇」のジャンルの奥深さがあります。今年もこぐま座、やまびこ座でのそれぞれの劇団の公演は、皆、実に面白くメッセージも明確でした。子どもたちは勿論のこと、大人にとっても余韻の残る素晴らしい作品と演技で楽しめます。私も毎回のチラシを2人の子どもを持つ長男家族に渡して、近いうちに足を運ぶことを薦めていました。何と言っても、劇場、劇団の方々のお客さんに対する優しい眼差しが素晴らしいです。開演前の諸注意、休憩中には人形が客席に現われたり、そして、舞台では場面の転換も流れるような見せる場面として、とにかく劇場に居るお客さまに喜んで頂こうという姿勢から学ぶものは多いですね。

7) 今年は、公開審査会後の交流会で、多くの創り手の方々とお話をすることができました。それぞれ実に内容があり、創り手の伝えたかったことをあらためて知る機会となり、私的には嬉しかったです。ただ、一方で、お話をしてみて初めて「ああそうだったのか」と分かる時、「それはそう説明を受けないと分からないよ」と思う時も多く、たった一回の観劇では、なかなかその創り手たちの意図を捉えきれない自分もよく分かっているので、可能な限り「再演」を希望したいですね。一回だけではかなり見逃しているセリフ・場面もあったり、創り手にとってもその後の手直し、作品の進化としても価値ある場だと思うのですが。時々再演を観て、「かなり修正したでしょ」と製作者に言うと、「いえ、脚本は全く手直しをしていません」などと言われる場合もあったりします。

8) 7)にも関係しますが、それ故に、昨年から始まった「さっぽろ演劇シーズン:http://s-e-season.com/」企画は、再演を集めての1カ月ロングランであり、この劇場祭を踏まえてさらにすそ野を拡げる企画として期待したい所です。このTGR公開審査会での辛口が、次のこれらの企画で活かされてくると、北海道での演劇のすそ野は大きく拡がり続けるような気がします。また、観てお仕舞い、或いはいつまでも観る側だけの演劇鑑賞の「消費」ではなく、ともに創る「パートナー」としての観客に一段レベルアップもしてもらいたいですね。
「審査」の難しさについて、私は繰り返し言ってきました。たまたま先月、京都に行く用事があり、高台寺住職・寺前浄因さんのお話をお聴きしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=15178)。その中の自己紹介で彼が、当初入学した大学哲学科を退学した理由を、「大学では教授も学生も、『哲学する、探究する』ことというよりも『解釈を競う』ことに終始していたので」とおっしゃっていましたが、私には実によく理解できるのですね、その雰囲気が。
私は、演劇の「審査」も、何か審査員の解釈・講評を競う場になっているような気がするのです。仮に審査員が創り手だとすれば、「自分だったらこうするけれど・・・」になるでしょうし、観る側だとすれば、「こう言った展開、演出だったら自分は好みだけれど・・・」みたいな感じ。いずれにしても作品製作にかかわった側には余計な話、観劇した感想としてはそれぞれ価値があるのでしょうが、それが「評価」とか「審査」となると、とても私は僭越な感じが致します。一つの「尺度」程度に理解して頂ければ気が楽ですし、あまり一喜一憂して貰いたくないなと思います、本来芸術分野の価値は、「一人一人が感じる固有なもの」なのでしょうから。
昨年でしたか、私が大通駅から続く「500m美術館」で作品を観ていたら、すぐ後ろにお母さんと15歳くらいの少し障がいをお持ちの息子さんの二人連れが歩いていました。「作品を観て思った通りを言ってごらんなさい」と、語りかけるお母さんの優しい言葉が印象的でした。
この劇場祭(TGR)で、特にスタートラインについたばかりの演劇人の皆さまには、一連の審査員の甘口、辛口のメッセージが、今後のモチベーション向上につながることを期待したいですね。
いずれにせよ、多くの方々の情熱と時間を費やして創られた一つ一つの芝居を、これ程濃密に鑑賞し前後に意見交換できる場を与えて頂いた劇場連絡会の皆さまに、心から感謝申し上げます、3年間ありがとうございます。これからも劇場に足を運び続けますよ、「審査員」ではなく応援する「一観客」としてですね!
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秋山さんの講評は以上です。
明日は、同じく今回で審査員最後の年となった
松井哲朗さんの講評をご紹介します。

TGR札幌劇場祭2012大賞 審査委員長総評

28作品がエントリーし、
「いま、一番おもしろい舞台」を競い合った
今年のTGR札幌劇場祭大賞。

公開審査会の最後に、7人の審査員を代表し、
審査委員長の桑田信治さんが、総評をとして、
以下のようなメッセージで2012年のTGRを振りかえってくれました。
皆さんは今年のTGR,いかがだったでしょうか。

以下、桑田さんの総評をご紹介します。
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みなさん、お疲れさまでした。
今年の札幌劇場祭は、エントリー数こそ28作品でしたが、開催期間が例年より短かったことを考えると、盛況だった昨年と同様の濃密さであったと思います。
また、エントリー外の作品や、参加劇場以外で行われた公演など、時間さえ許せば観てみたいと思った作品が他にも数多く上演されており、それらすべての作品がそれぞれ、「11月の札幌をアートで埋め尽くす」というさっぽろアートステージ本来の目的の一翼を担っているのだと思います。

僕は、昨年の公開審査会の最後に前審査委員長・レッドベリースタジオの飯塚さんがおっしゃった「劇場祭の本来の目的は、他の人がやっている仕事を知り、自分の仕事を見直すことによって全体がレベルアップしていくことだと思う」という言葉が、すごく印象に残っています。今年の劇場祭の特徴として、僕の印象では、リリカル・バレットや札幌座の公演など、客演として、他の多くのカンパニーの実力者が結集した作品が多かったことがひとつあったと思います。その本来の所属劇団の新作を観たいなあという気持ちもありましたが、それとは別に、今まで観たことの少ない役者さん同士の競演や、自分たちの従来の守備範囲を越えたジャンルに挑んだ作品もあり、まさに「他の人のやっている仕事を知り、自分の仕事を見直す」場ではなかったかと思います。

昨年の劇場祭では、3.11以降のできごとを直接的・間接的に反映した数多くの作品が上演されましたが、今年もそれは顕著でありました。時を経たことで語られることがあり、また、どれほど時間が経っても忘れてはならないことがあるのだという事だと思います。

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僕は本来、100パーセント客席側の人間です。ですから実は、公開審査会のステージに上がらせて頂いていても、内心「自分がこんな処に立っていていいんだろうか」って思ったりするんですよね。今年の劇場祭の最大のミスキャストは、実は(審査委員長の)僕なんじゃないだろうかと 笑。とっととこの役目を終えてステージを降り、また、ひっそりと客席の隅で、客いじりの対象にならないように伏せ目がちにしながら、好き勝手にあれこれ考えながら個人的に舞台を楽しんでいる日常に戻りたいなと。

でも、だからこそ、「客席は自分たち一般客のものだ」という自負もあるわけです。

「舞台は生もの、ライブ」だとよく言いますが。そうであるならばある意味、客席があってこそ、その作品は完成するのだと思います。賞賛も、批判も、お客様がいてこそ。昨年の劇場祭のあと、僕は「劇場祭で初めて舞台を観て、それから劇場に通うようになった」という幾人もの方に出会いました。今年もこれから、そういった声を聞けることを楽しみにしていますし、それも劇場祭の重要な役割のひとつだと思います。そして、そんな人々のためにも、これからもいろいろなジャンルで素敵な舞台を見せて欲しいなと思います。

※恒例となりました(笑)個々の作品について、最後の「続きはWEBで」は、また追ってお話させて頂きます。
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(桑田さんの総評は以上)

本欄では、来週後半からをめどに
各審査員の方々の「講評」を掲載していきます。
ぜひこちらもご覧ください!