TGR2010大賞 審査委員総評[飯塚優子さん]

皆様ごぶさたしております。しばし休んでおりましたTGR2010審査委員の総評。再開第1回目は札幌市西区八軒にある「レッドベリースタジオ」主宰者の飯塚優子さん。スタジオ運営のほか、札幌学院大学非常勤講師として「演劇とアートマネジメント」を担当するなど、アートコーディネーターとして幅広い分野でご活躍中です。

●審査委員・飯塚優子さん(「レッドベリースタジオ」主宰)の総評
「札幌劇場祭2010」終了から二か月近く経って、今更何を?という感じですが、少し気にかかっていることがあるので記しておきたいと思います。

完成度、ということについて、考えていました。
演劇において、完成度に対置することのできる価値は何だろう、ということです。
他の審査員にこの問いをかけてみたところ、一人の方が「それは面白いということ。もう一度見たい、と思えること」と答えてくださいました。

今回の審査過程は、公にされている通り、まずエントリー作品の中から6人の審査員がそれぞれ5作品を選びました。ここでは驚くほど多彩な作品が挙げられましたが、そこから票数の多い以下5作品に絞られました。上演順に
  劇団北芸「この道はいつか来た道」
  弦巻楽団「音楽になってくれないか」
  座・れら「空の記憶」
  劇団TPS「クリスマス・キャロル」
  劇団千年王国「ダニーと紺碧の海」
この5本について公開審査会で討論し投票で各賞を選びました。6人の審査員がそれぞれ3票を持ち、1票ずつ3作品に投じてもよいし、3票すべてをひとつの作品に投じてもかまいません。そのようにして選ばれた大賞、特別賞は周知のとおりです。
完成度が高い、と誰もが認めた2作品がともに選にもれた、その結果に私は少し驚きました。受賞作はいずれも素敵で異議はありませんが、考えさせられました。

完成度が高い、とはどういうことでしょうか。
演技、演出、舞台技術などの技術、感覚が優れている。
作品についての分析、解釈十分に行われ、緻密に構成され、思考が深い。
意図した作品世界が破たんなく創出されている。
といったことが挙げられるでしょう。
それは演劇に限らず、アーティストが表現の質を向上させようとする場合、常に意識することでしょう。

しかし表現や創造に関して、それとは別の価値観があります。
例えば現代アートでは、「ものをつくる」のではなく「できごとをつくる」という考え方があります。場の状況や関わる人によって変化し、発展し、成長し、付加されていく、終わらない現場が作品なのだ、とする考え方。作品として完結するのではなく、未完を保つことによって枠組みを越えようとする発想です。
音楽では、ジャズや民族音楽など広い分野で行われるジャムセッションがあり、演劇でも、観客と俳優の壁を取り払い集団で創造する演劇や、即興など、舞台上に従来の概念でいう「作品」を現出させる、という発想とは決定的に異なる考え方があります。
このような「未完」「仮設」の演劇の系譜は、いつの時代にも刺激的で、時機に応じて独自の発展を遂げてきました。

私がみた範囲で、近年の若い演劇に多くみられる特徴は、内容や表現の「脈絡のなさ」だと思います。意味不明だけれどなんだか面白い、異和感が楽しい、ディテールにこだわる、猥雑さが楽しい、ポツポツと途切れる会話、無国籍性などなど、統一感や一貫性をこわして、精神の風通し良さが得ようとする試み、と見ることができます。
ただ「未完」や「仮設」を選択する場合でも、実は強靭な美意識と表現の力量がなければ、優れた作品をつくり、活動を実現することはできません。創造のプロセスでは、完成度を追求する作業を避けて通ることはできません。

完成度で忘れられないのは、ジョルジュ・ドンの「ボレロ」と、武原はんの「雪」です。
ともに25~30年くらい前に観た舞踊ですが、どちらも、ハッと胸を突かれる破綻「のように見える」瞬間があって、そこから立ち帰る一瞬の切り替えが、得も言われぬ感動を呼び覚まします。
その一点に、未完の魅力が仕込まれているのです、もちろん意図的に。
完成度、といういい方をしますが、もし100%の完成品があったら、果たしてそれが魅力的かどうか、分かりません。
限りなく完成に近い。でももう一度見たい。何度でも見たい。
そんな究極の演劇を、私は見たいと思います。

個々の作品については、他の審査員の方が精力的に書いておられ、いずれも共感する点が多いので、あらためて触れませんが、2点だけ。

近年、演劇のタイトルやキャストを映像で投影するものが非常に多く、劇場祭参加作品でも散見されましたが、これは本当にその必要があるでしょうか。
もちろん、演劇に映像表現を組み込むことに意味のある場合もあります。
例えば、パインソー「ワタシの好きなぼうりょく」。
舞台上手に据えられたカメラのリアルタイム映像が劇の重層性を感じさせ、また回転させたスリットに人物を投影してホログラムのような幻影効果を出すなど、映像が認識に与える影響、面白さを演劇に活かしました。
劇場祭参加作品ではありませんが、弦巻楽団「果実」の場合は、植物人間状態の少女との対話、という特殊な状況を、文字を投影する方法で演劇にしました。
またCAPSULEのコントのような場合は、舞台の進行にテンポをつくり、シーンを分割する役割を、映像が担っています。
舞台にテレビドラマの手法を持ち込むような安易な映像使用は要りません。

サプライズ賞の「やまびこ舞踏会~舞踏に言葉が響くとき」について。
松本直人さんの芝居は、1980年前後から見ていますが、今回、30年目にして松本はついに化けた! 心から拍手を送ります。
無用な動きがそぎ落とされ、ときに語り手であり、ときに踊り手と向き合う役柄を演じる、その自在な切り替えが物語を進めます。「読み手であり、同時に役者である」という立ち位置、このニュートラルな身体を、松本はどこから獲得したのでしょう。
今年10月には「人魚姫」の再演が決まったとのこと。多くの人にぜひ見ていただきたい作品です。