TGR2010大賞 審査委員総評[松井哲朗さん]

審査委員総評[松井哲朗さん]

連載3回目は劇評誌「続・観劇片々」の主宰者・松井哲朗さんの登場です。
劇場関係者によると、松井さんは「たぶん北海道で最も演劇を観ている人」。
そういえば劇場でよくお見かけします。
かつてご自身も劇団に所属していたことがあるそうです。
TGRの審査委員は今年から。
ではじっくりとお楽しみください。

●審査委員・松井哲朗さん(劇評誌「続・観劇片々」主宰者)の総評

今回のエントリー劇団の舞台は、総じてクオリティは高く纏まってはいるのだが、重厚な作品は少なかったという印象であった。

その中で『ダニーと紺碧の海』は、小品だが衝撃力の強い印象に残る舞台であり、二人の男女を演じた役者は、演技を超えた力技でこの素朴で一種の神話的物語を演じた。

 この物語の舞台は紺碧の海なのだが、それはきっと深くて広い見た目には爽やかだが実際には何があるか分からないような複雑だが紺碧の海なのであろう。実際の舞台からは視覚的にはそれは見えないのだが、この二人の心象としての海であり、私の心にもくっきりと見えた、そういう海なのであった。

『空の記憶』は、観る方の覚悟も必然的に必要な、決してなくなってはいけない、歴史の記念碑的舞台であった。誰が迫害者であるか、誰が悲惨な被害者であるかの選別よりも、その真実を共有する人こそが大事だというアンネの悲痛な叫びが、愛する父親の存在を越えて世界に響き渡る。

『この道はいつか来た道』は、04年6月13日、今から6年も前に札幌のシアターZOOでこの芝居を観ている。何度も観ているような錯覚があったが、調べるとこの1回だけだったが、それほど印象が強かったのだろうか、『別役心中物語』として紹介している。

これは昔に観た秋元松代作・蜷川幸雄演出の『近松心中物語』と、覚悟して死に向かう二人の男女の物語と雰囲気が似ていたからだと思う。

96年4月に東京・明治座で観たその長い感想(『風化』105号所載)には「純愛物語ではあるが、自己の生きる意味の尊厳を賭けた命懸けの自由への脱出」と書かれていた……

ラストシーン、背中を持たせあって死を迎える二人に静かに雪が降る。お互いに痛みを確かめ合うことは出来なかったけれども、凍死するのは確実であろう。寒く冷たい死の実感である。

『ダニーと紺碧の海』『この道はいつか来た道』はどちらも出演者が二人、『空の記憶』も二人だが詩の朗読者が一人出演する。

『音楽になってくれないか』のラストシーンは、主役の女が15年の長い原因不明の昏睡から醒めて驚く場面で、男はデジャヴィに驚くと同時に「ようし、じゃあもう一回返そう」と叫ぶ。

 劇団の演出家として芝居を創っていた時のそのままのシーンがそこに再現されているのだ。本編の芝居そのものも、このシーンで終わる。男の夢と芝居の現実、あるいは男の現実と芝居という夢とがシンクロする鮮やかなラストシーンであり、この演劇的ラストシーンは観ていて痺れた。

『クリスマス・キャロル』も、最初は何もないあの小さな劇場ZOOに開幕と共にロンドンの賑やかな街と大勢の人々を溢れるように登場させ、順次街を巡ってスクールジの事務所や自宅の内部までを出現させ、まるで映画を見ているような臨場感に圧倒された。

 スクールジの自宅の部屋もいつの間にか組み上げられ、そこへ登って行く階段の仕掛けなどウイットに富んで楽しめる。

 『ハイパーリアル』は、 夢と現実の交錯を、演劇を通して比較・考察してみるところが、なぜか、先日に観た弦巻楽団の『音楽になってくれないか』の構造と似ているのが興味深かった。内容はかなり違うとは思うけれども……

 次に感じたのはお母さんたちの劇団『えるむの森』と障碍者の劇団『舞夢』、そして人形劇の『ばおばぶ』である。今までの観劇経験から、こういう集団が作る舞台は、その人たちとその周りの人たちが演劇という媒体を使って楽しもうという感じが大きかった。それはそれで大きな存在価値があるから否定はしないどころか演劇愛好者としては大いに歓迎するのだが、このような競演の舞台に並べるのは無理があるという先入観と違和感が大きかった。

 見事にそれは破られた。まだ必ずしもレベルは高いとは言えないけれども、同じ舞台で評価されるにふさわしいだけの成果はあった。『ばおばぶ』は幼児向きだから、この『えるむの森』と『舞夢』の二つの中のどちらかをサプライズ賞に推薦したかった。僕がびっくりしたからだ。結局『えるむの森』にしたけれども迷ったのは事実だ。脚本の良さだろうか?これは僕が絵本でむかし読んだこともある原作があるのだ。

 この賞を発表したとき、会場が「うおー!」とどよめき僕は二度びっくりして、まさに僕にとってもサプライズだったが、とても嬉しくもあった。

 以下、少し詳しく僕の個人誌『続・観劇片々』から紹介する。

ただ、皆さんがさまざまな面からいろんな考察をされているのは、選考会でも雑談でも耳にしていて、それらは納得のできる話なので、僕はちょっと見方を変えて自分の観劇記の中から疑問点だけを抽出することにする。

大賞『クリスマス・キャロル』

すっかり生き方を改め、翌朝、彼の人生のすべてに関わる人たちのささやかな幸せに参加していくハッピィエンドの物語である。

 しかしこのスクールジィを観ていると本当に彼は優しい心のおじいさんになったのだろうか?ほんとうにハッピイエンドなのかという気がする。かなり無理をしているのではないのか? 最後に彼の事務所の職員が遅刻して来たときのあの荒々しい受け答えが本当は彼の真実なのではないのか?人間そう簡単に変われるものだろうか? 身過ぎ世過ぎのために苦し紛れにのた打ち回っているのが本当ではないのか?心ならずも見せかけの行動を示したのではなかろうかという気もする。