【作品紹介1】森迫暁夫氏、安藤文絵氏、伊藤ひろ子氏

500m美術館に参加している作家さんの作品の一部と

作品についての説明文をご紹介します。

初回は、画家の森迫暁夫さん、美術館の安藤文絵さん、美術館の伊藤ひろ子さんです。

森迫暁夫(画家)
作品タイトル
「モリノコ」「どこにもドア」「アイドルの木たち」
はじめまして、札幌を中心に活動しております森迫暁夫と申します。
私は森とつながりをテーマに制作しています。
森といってもいわゆる森ではなく、例えば、涙と言う小さな水の粒の固まりであったり、苔というとても小さな緑の集まりであったり、人、一人一人がつくっている大きな社会であったりといった、
小さなものからつくられる大きな森というものです。

静物の持つDNAの情報は二重螺旋構造によって繰り返されてゆく。それらは言い換えるとプリントなのだと思う。
それらは全てつながって、そして繰り返されてゆくのだなぁ、と感じながら制作しています。
私の描きたいものは生活の中の森です。
シルクスクリーンによるリピートは、ただ単純にカワイイのひと言で済む自分の中の物語をつなげる表現方法として。
そして埋め尽くす情報量と人類の繰り返しの中からほんの一部でも表現し,描いてゆきたいという思いからです。

作品の中からめくるめくつながるお話と、ささやかでとても偉大な小さな森を感じていただければ幸いに思います。

安藤文絵(美術家)
作品タイトル
「Nocchi’s 77 lines」
人生の旅路は長い。
歩むのに疲れることたびたび。
もうどうでも良いかなと思うことしばしば。
自分の小ささを思い知らせること毎日。
生きていたくないと思うことひんぱん。
それもまた死のプロセス。

死のプロセスの最中にはその終わりはなかなか見えないもの。
しかし、それでも一つも無駄なことはない。
それがわたしの人生の中でももっとも実りの多い時。
何もないことを知る時、自分に与えられているものを知り。
自分が自分の意志によって存在しているのではなく、
思いをはるかに越えた流れの中に自分が生かされ、
運ばれていることを知る時、感謝が溢れる。

死の後には新しい命が芽吹く。
待たされること、待つことは、決して受け身のことではなく、
次に進むための、非常に能動的な静の活動。

毎年、世界中でキリストの誕生が祝われる。
クリスマスは、創造主がその愛を見えるイメージにするために何もないものへとなった日。

それは「死と復活」という最高のアートプロジェクトの始まり。

一粒の麦が落ちて死ななければ
実を結ぶことは出来ない。

彼は一粒の麦となって、地の塵のようにその命を地に注いだ。
「永遠の命」と言う、新しい命を与える為に。

花は実を結び朽ちてゆくからこそ美しい。
その死の背後に新しい命があるから。
死のプロセスが命を生む。

芸術家は、自己を表現する事に死に、
作品を作ることが可能なのか?

それが、この数年間の私自身への問い。

ある晩一つの聖書の言葉を思い出した。

「御霊もおなじようにして、弱い私たちを助けて下さいます。
 私たちは、どのように祈ったら良いか分からないのですが、
 御霊ご自身が言いようもない深いうめきによって、
 わたしたちのためにとりなしをしてくださいます。」
 ローマ人への手紙8章26節

祈りにも様々な形がある。

そうならば、思いを込めて一本の線を引いたとしたら、
それさえも祈りになるのではないか。

祈りが形になる。
真夜中に、寝床の薄明かりの側で鉛筆を取ってスケッチブックに線を引いてみた。
何か言いようもないものが腹の奥からこみ上げて来る。

ひたすら何度も、何度も線を引き続ける。

自らの命を絶って行く人々思い線を引く。
自分に命を与えてくれた親を殺す子どもたちを思い、線を引く。
愛されるべきはずの親に虐待されて死んで行った
子どもたちの悲しみを思い、線を引く。
遠い、はるか彼方の国で、爆弾におびえながら
過ごしている人々を思い、線を引く。

私には手の届かない、私には何も出来ない。
そんな人達のことを思いながら私はひらすら線を引く。
言いようもない思いが腹からこみ上げる。

人にはみんな表現する力が備えられている。

私はそう信じる。

もし創世記の言うとおり、
人が創造主に似せて作られているとしたら、
その創造の力も分与されている。
人は誰でも表現者になれる。
ただその方法を知らないだけなのだ。
たった一本の線でも、色んなことを表せる。
一本の線。
その中に様々なものを私たちは託すことが出来る。

人伝えたいけれど伝えられない思い。
だれにも知られたくない思い。
溢れる感動。
やり場のない怒り。
心を満たす平安。
自分でも知りたくない痛み。
あきらめかけている夢。
愛しい人への、熱い思い。

だれもが、心の中にだれにも話せない、
言葉にならない思いを持っている。
人は何のために表現するのか?
力を現すため?
自己を主張するため?
自分の存在を確かめるため?
愛し合うため...。

人のその思いをこめた線。
知らない人が見たら、ただの紙切れ一枚。
しかし、それは描いた人の心が、
そして、その人生の一部が込められている。
人には見過ごされ、あるいは捨てられてしまいそうな、
そんな存在。
それを手にとり、命を吹き込む。
作品という形にして。
これも死と復活のプロセス。

友人のひとりに紙を託し、一ヶ月間線を引いてもらうことをお願いする。
一枚の紙に一本の線。
形を描くのではなく、
彼女の思いを込めて線を引く。
77本の線が集まった。
あなたはこの線から何を読み取るだろうか?

伊藤 ひろ子(美術家)
作品タイトル
「かげおくり」
かげおくりの作品について
ひざしの強い日に、自分や友達の影をじっと見つめたあと、空を見るとその残像(ざんぞう)が、
白く浮かび上がってふわふわと消えていく事があります。

こんな体験は、かげおくりという遊びにもなるそうです。

私は出会った方にお気に入りの写真を見せて頂いたり、
その思い出話をうかがいながら、記憶や思い出をイメージし、
私の体験と重ねつつ作品を作っています。